常盤貴子さんの “あきらめない被災地支援” | サト_fleetの港

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ブログで取り上げる話題はノンセクションです。
広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


甚大な被害をもたらした能登半島地震から半年以上経ったが、
復旧はまだ緒に就いたばかりという感じだ。
能登半島は、これまでにも群発地震で被害を受けてきた。
このブログでも何度か取り上げさせていただいたが、
女優の常盤貴子さんは、能登の支援のために尽力してきた。
2022年と2023年の地震で損傷した珠洲焼窯の復旧にあたるべく、
自らボランティアチームのリーダーとなって現場で修復作業に従事した。

その活動が実を結びつつあった矢先に発生したのが、今年1月1日の能登半島地震だった。
常盤さんが、朝ドラ『まれ』のロケで滞在して親しんだ輪島も、
『奥能登国際芸術祭』で朗読劇を行った珠洲も、壊滅的被害で見る影もなくなってしまった。
しかし、常盤さんはあきらめない。
発災直後から、テレビ、新聞、SNSなどで、たびたび被災地支援を訴えた。

7月5日に中部7県で放送された

NHK能登半島地震6か月 被災地からの声 復興への壁』にも出演されていた。

常盤さんは、自ら奥能登の被災地でボランティア活動をしてきた視点から意見を述べていた。


※MCはNHK名古屋の藤井彩子アナ
※海底が隆起して陸地になったことを説明する常盤さんと
驚いた表情でそれを聞く藤井アナ

※現地からの映像に涙ぐむ常盤さん



常盤さんが重視するのは、被災者の人たちとの会話だった。
話を聞いてあげて、心に寄り添う。
そうすることが復興の第一歩だという意味に受け取れた。


ここからは、
能登での常盤さんの支援活動の足跡を見ていきたい。


常盤さんが、『まれ』のスタッフだった人たちと能登へ赴いたのは3月中旬のことだった。
このボランティアチームを、常盤さんたちは “チームまれ” と称している。
この名称に敬意を払いつつ、私なりの呼び方をさせていただくと、
“チームまれ 常盤支隊” だろう。

“チームまれ” あるいは “まれチーム” は、
2月に輪島市と珠洲市に励ましの寄せ書きを贈った『まれ』のキャストとスタッフのみなさんをそう呼ぶとすれば、約60名のメンバーがいる。
発起人の土屋太鳳さんが5月に輪島に行った際も、
やはり、“まれチーム” のお一人と一緒に行ったという。
60名全員が一度に行動することは、スケジュールの関係などで難しいだろうから、
これからも都合の合う人たちで○○支隊の単位で分散して活動を行うことになるだろう。


常盤さんはボランティアに行くにあたり、いろいろと教えを請いたいと、
大河ドラマ『天地人』で共演した高島礼子さんを通じて伍代夏子さんを紹介してもらった。
伍代さんは言わずと知れた杉良太郎さん夫人、これまで御夫婦で数多くの炊き出しなどの被災地支援活動を行ってきた人だ。
常盤さんは、この頼もしい先輩から直接たくさんアドバイスをもらい、
不安に思っていたことも払拭されたようだ。

※志を同じくする4人の女子会
左から高島礼子さん、伍代夏子さん、仲間由紀恵さん、そして常盤貴子さん


3月17日


輪島市  重蔵神社


“チームまれ 常盤支隊” は、
輪島市のミシュランレストラン “L’Atelier de NOTO” (ラトリエ・ドゥ・ノト) の池端準也シェフのボランティアチームに合流、炊き出しに参加。




ラトリエ・ドゥ・ノトは、
『まれ』の輪島ロケが行われていた頃にグランドオープンした。
常盤さんは、共演者の人たちとよく利用し、池端シェフとも顔なじみになった。

後日談であるが、4月1日と2日、
復興支援のプロバスケットの試合が代々木競技場で開催された際、池端シェフがブースを出店したが、
この時も常盤さんは駆け付けて調理を手伝っている。


3月18日


珠洲市  直 (ただ) 小学校

NGO団体ピースボートのメンバーと炊き出し。




ピースボートのみなさんは、避難している方たちの炊き出しだけでなく、
授業が再開された直小学校の生徒さんたちの給食も毎日作ってくれていた。



珠洲市  大谷小中学校

同日、常盤支隊は『まれ』の塩田シーンのロケ地にほど近い大谷地区でも炊き出しを実施。
ここでは、珠洲に来ると常盤さんが必ず行く店 “つばき茶屋” のオーナー母娘と再会した。


 


つばき茶屋の番匠さん母娘は海女でもある。
自らが潜ってとった新鮮な魚介類を使った料理を出すことで定評があった。
お二人は、ここから加賀市の観光ホテルに二次避難していたが、
この日は、後日行われる高校の卒業記念給食の準備のため戻って来ていた。


3月19日


輪島市

大分県佐伯市から来た “まつり佐伯チーム” と炊き出し。
奇しくも、佐伯も輪島も、常盤さんが出演した映画『釣りバカ日誌』のロケ地だった。




炊き出しに慣れた “まつり佐伯” メンバーから教えをうけることも。


炊き出しのあとには、奇跡的に焼け残った『まれ』のケーキのオブジェを掃除。
スポンジを使って丁寧に汚れを落とした。


※『まれ』のオブジェと “チームまれ 常盤支隊” のみなさん


6月某日


珠洲市


石川県のMRO (北陸放送) で放送されている夕方のニュース情報番組 “Atta” (アッタ) の取材を兼ね、
常盤さんは今も親交のある珠洲の人たちを訪ねた。



常盤さんが訪れたのは、

角花家の揚げ浜式塩田、珠洲で行き付けの店 つばき茶屋、そして珠洲焼作家 篠原敬さんの工房。

いずれも建物は無事だったが、

設備や備品の被害が深刻で、いまだ営業が再開されていなかった。




  


この中で、つばき茶屋の番匠さん母娘や篠原さんには1月以降も避難所など別の場所で会うことができたが、
角花塩田の六代目 角花洋さんと会うのは地震後はじめてだった。
番組の映像では、角花さんと感激のハグをする常盤さんの姿がみられた。




江戸時代から400年続く角花家の揚げ浜式塩田は、
ご存知の通り『まれ』で田中泯さんが海水を汲んで塩を作っていた塩田のロケ地。

国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

常盤さんにとっても、何度かここで撮影をした思い出の場所だ。
ところが、地震による海岸の隆起で、塩田から一番近い海まで80mも距離ができてしまった。
角花さんは、昔ながらの桶を担いでの潮汲みを断念し、
ポンプを使用することを考えているという。

どのような方法にしろ、日本の伝統を守って塩田を復活させようとする角花さんの姿勢には頭が下がる。
そんな角花さんに常盤さんが、
「どんな状態でも私たちは応援している」
と言った言葉が心に響いた。

この番組でも常盤さんは、
支援の一環として被災地の人と交流することを提唱した。
もう能登までの道は通じているので、
ボランティアにしろ、観光にしろ、とにかく能登へ行ってほしいという。
これは、常盤さんが発災後に情報番組や能登半島地震の特別番組に出演した際、
何度も呼びかけてきたことだ。

これから夏休み。
行ける人は、ぜひ能登へ行ってほしい。


塩田に  咲き残りたり  白き花

              (筆者作)




【おことわり】

本ブログ中に使用しました写真は、

常盤貴子さんインスタグラム、MRO『Attaスペシャル』、NHK『能登半島地震6か月 被災地からの声 復興への壁』などから引用させていただきました。