鯉のぼり | サト_fleetの港

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ブログで取り上げる話題はノンセクションです。
広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


古代中国の伝説では、鯉 (こい) は黄河上流にある龍門という滝を登りきると龍になると伝えられていた。
後漢書にその記述があり、登竜門の語源になっている。



これにちなんで江戸時代の日本で、
勢いのよい鯉の姿に男児の健やかな成長の祈りを込めて “鯉のぼり” が作られた。
以来、5月5日の端午の節句には鯉のぼりを揚げる習慣となり、
それは戦後、端午の節句が「こどもの日」として国民の祝日に制定されてからも継承されてきた。

しかし、最近では鯉のぼりを揚げる家は少なくなった。
これは、少子化の影響で子供の数自体が減ったこともあるが、
鯉のぼりを揚げるという習わしが重視されなくなったことが原因と考えられる。
すでに、私が子どもの頃 (昭和40年代) には、鯉のぼりを揚げる家は町内に一軒もなかった。
このように、個人宅で鯉のぼりを揚げることが珍しい御時世になった。
鯉のぼりを目にするのは、この季節の何かのイベントの時ぐらいになってしまった。

いまや絶滅危惧習慣となってしまった鯉のぼり。
いささか寂しいものを感じるが、
関連して、鯉のぼりの歌もあまり歌われなくなったのではないだろうか。
たしかに、子どもたちが実際に鯉のぼりを見たことがなければ、小学校などで歌を教えてもピンと来ないだろう。

鯉のぼりの歌はいくつかある。
中でも、
“♪やねより高い こいのぼり〜”
ではじまる昭和初期に作られた『こいのぼり』(作詞∶近藤宮子、作曲∶不詳) の歌と、
“♪甍 (いらか) の波と雲の波〜”
の歌詞で知られる大正時代に作られた『鯉のぼり』(作詞∶不詳、作曲∶弘田龍太郎) が有名である。

昭和の鯉のぼりの歌の方は、鯉のぼりを親子に例えて、ほのぼのとした内容の歌になっている。
一方の大正の鯉のぼりの歌は、鯉が滝登りで龍になるように、男子がたくましく成長してほしいという主旨の内容である。
二つの歌を比べると、私は大正の『鯉のぼり』の歌の方が断然好きだ。
詞は文語調で格調高く、曲は明るく溌溂としている。
5月の薫風に雄々しく泳ぐ鯉のぼりが目に浮かぶようだ。
聴いても歌っても元気が出てくる。

いろいろと大変な時代だが、子どもたちが元気で健やかに育ってほしいと願わずにはいられない。


鯉のぼり

作詞∶不詳  作曲∶弘田龍太郎



甍 (いらか) の波と 雲の波

重なる波の 中空を



橘 (たちばな) かおる 朝風に



高く泳ぐや 鯉のぼり

(文部省唱歌『鯉のぼり』一番より)