“一殺五百両” 〜子連れ狼の刺客料〜 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


前回『新木枯し紋次郎』について語らせていただいたので、
今回は懐かしの名作時代劇シリーズとして『子連れ狼』を取り上げたい。

萬屋錦之介が拝一刀 (おがみ いっとう) を演じた日本テレビ版の『子連れ狼』は、
その頃一世を風靡したフジテレビの『木枯し紋次郎』から1年3ヵ月遅れて1973年4月から放送を開始した。
(『木枯し紋次郎』は第2シーズンが終了した頃)
その後、1976年9月まで2回の中断をはさんで、計3部79話※注釈1 が放送された。



NHKの『アナザーストーリーズ』(2024年3月22日放送) では、
木枯し紋次郎のライバルは必殺仕掛人としていたが、それは同時期の視聴率争いでの話。
私の記憶では、木枯し紋次郎と子連れ狼が、当時の時代物の人気を二分していたように思う。
フジで『木枯し紋次郎』が始まった時、ドラマの『子連れ狼』はまだ放送されていなかったが、
漫画雑誌に連載されていた原作の劇画はすでに人気だったし、若山富三郎主演の映画版も第1作が公開された頃だった。
(映画版は1974年4月まで全6作が公開された)

木枯し紋次郎と子連れ狼の熱心なファンが存在し、週刊誌では両方のヒーローを並べて比較する特集記事もあったほどだった。
そんな記事によると、コアな子連れ狼ファンには、シングルマザーで夜の仕事に就いている女性も少なくなかったという。
彼女たちは “子連れ” を「こづれ」ではなく「こつれ」と発音するということまで取材して書かれていた。
それこそ、女手ひとつで子供を育てて働く女性たちは、
大五郎を連れて旅をする拝一刀を我が身に重ね、深く感情移入していたようだ。

そこに始まったのが、テレビ版の『子連れ狼』だった。
その概要については、以前にもこのブログで取り上げたので、
今回はさらに踏み込んで触れてみたい。



拝一刀は、たださすらいの旅を続けているわけではない。
公儀介錯人の職に就いていた時、幕府の要職をすべて陰で操ろうと企む柳生烈堂 (やぎゅう れつどう) の陰謀で、
妻や一族郎党を殺され、さらに謀反人の汚名を着せられてしまった。

生き残った息子の大五郎とともに江戸を脱出した一刀は、烈堂を総帥とする裏柳生一門に復讐を誓う。

その軍資金とするため、“一殺五百両” という報酬で刺客稼業をしているのは前回記事 (2023年10月) で書いた通り。


だが、五百両という大金が出せるとなると、依頼人は大名の家老など上級武士が多く、
藩の弱みを握る人物を暗殺してほしいといった依頼内容が多い。
物語の時代設定は江戸時代前期、いまだ戦国の名残りが残る武断政治の時代。
外様の小藩は、幕府に取り潰されないかビクビクしていた。
幕府に取り潰しの口実を与える危険のある人物を、自らの手を汚さず抹殺するのに一刀の存在は好都合だった。

依頼人は武士ばかりではなかった。
時には、苦界に身を沈めた遊女や、圧政に苦しむ農民たちからも依頼があった。
自分たちの力では太刀打ちできない仇や領主に対して、一刀の力を借りようというのだ。

なお、請け負い料は必ずしも一殺五百両とは限らなかった。
二両三分で孫の仇の博徒を斬ってくれという茶店の老婆や、一揆を起こす寸前に数十両を積んで加勢を依頼した農民たちは断ったかと思えば、
金の代わりに、飢饉に苦しむ百姓衆が差し出した碗一杯の飯や、浪人から渡された名刀の小柄 (こづか)※注釈2 という “物納” で引き受けた例もある。



刺客稼業をしていても、一刀は決して生来のアウトローではない。
単なる非情な殺し屋でもない。
裏柳生への復讐の鬼、いや、狼となって冥府魔道の道を歩みながらも、
時として “義” のために命をかける武士の精神を忘れていなかった。
だから一刀は、依頼された対象を倒す時も、無関係な人々が巻き添えにならないようにしている。
たまたま宿場の飯盛女※注釈3 が、銃弾から大五郎を守ろうとして命を落とした時など、
その供養のため、彼女の遺志に従って、郷里の山の植林作業を村人に混じって手伝ったこともある。

一刀は、引き受けた依頼は必ず履行する。
どんなに困難に思える対象も絶対に仕留める。
このあたりは、原作者の小池一雄※注釈4 が、かつて劇画家のさいとうたかおの脚本担当スタッフをしていた関係からか、
『ゴルゴ13』の影響を強く受けているように思う。


拝一刀に刺客を依頼するにはどうすればよいか。
その方法は次のような手順を踏む。
まず、依頼人は街道沿いの古い寺や神社などに、冥府の番人を描いた牛頭馬頭 (ごずめず) の護符を貼り出す。


※劇画『子連れ狼』(小島剛夕画) より

これを見た一刀は、
依頼人に会うため、その場所を指定する道中陣 (道案内図を暗号化したもの) を、小石を使って描く。



※劇画『子連れ狼』(小島剛夕画) より


道中陣の中の二重丸が陣所、この場合は一刀がいる場所をさす。
この場所で依頼人と面談し、納得のいく内容ならば引き受けるが、
依頼人が自分たちに不都合な点を隠していたりすると、契約は破棄される。


では、刺客料の五百両は現在の価値でいくらになるのか?
これは難しい問題で、当時の社会の仕組みや人々の生活様式が現在と大きく違うため、単純には現在の価値に当てはめられない。
1両は、18世紀頃 (江戸時代中期) の米の値段を基準にすると約6万円、大工の賃金だと約35万円と、
基準とする物によって金額に大きく差が出てくる。
また、江戸時代は260年以上続いたので、時期によっても差があり、
米価を基準にしても、前期では10万円、
中後期で4万〜6万円、幕末で4千円〜1万円となる。
(日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料による)

そこで、ここでは『子連れ狼』の舞台となっている江戸時代前期の米価を基準として、だいたい一両10万円で計算したい。
すると、五百両は現在の価値で5,000万円ぐらいということになる。
だがこれも大まかな目安であって、
先述の依頼人の茶店の老婆に一刀が「二両三分あれば2年は暮らせる」という台詞があるように、
当時の庶民の生活は慎ましく、物価も相対的に安かった。
このことから考えても、庶民にとって1両は滅多に拝めない大金であり、
五百両という刺客料は途方もない金額だった。

小判は金の比重が大きいため、当時の他の貨幣と比べて重く、
江戸時代前期に流通していた慶長小判で一枚17.8gあった。
現在の札束のように、小判二十五枚または五十枚を白い和紙に包んで封印した切り餅と呼ばれる包み金も流通した。

【参考】
※小判二十五両分 (モデル品) 

 
※五十両の切り餅
時代劇ではこちらの方がよく
登場する。


すると、小判五百両の重さは
17.8g✕500枚で、8,900g=約9㎏ にもなる。
刺客行脚を続けるうちに、小判はどんどんたまっていくはずだが、
一刀はそれをどこに保管しているのか不思議だった。
大五郎を乗せた箱車に一緒に積むにしても、大五郎が圧迫されるし、車を押す一刀も重くて大変だ。
だが、劇中の箱車には、大量の小判を積んでいる形跡はない。
どこかに埋めて隠しているのだろうか?
そんなことを思って観ていたら、
ちゃんと、両替商で江戸へ送金するシーンがあった。

江戸時代の両替商は、現在の銀行のような業務を行っており、
窓口で送金を依頼すると、為替の形で送金先の両替商で金を受け取れる仕組みになっていた。
江戸時代の金融システムは、かなり整備されていたようだ。

※両替商の店先
大坂の鴻池屋、江戸の越後屋 (三井) 
住友などが大手で、明治以降は銀行
に発展した。


一刀はこうして稼いだ刺客料を江戸に送っていたが、その総額は四万二千両におよんだ。
この大金を受け取り管理していたのは、江戸にいる一刀の協力者で、
小判を溶かして不純物を取り除き、金塊にして密かに保管していた。

慶長小判一枚の純金含有量は約15g、四万二千両分だと約63万g(630㎏)。
現在の価値に直すと、
4月15日時点の純金1gの税抜き買取価格 (約11,600円) を参考にして、
11,600円✕63万gで、73億800万円=約73億円という金額になる。
小判のままなら、先述の基準値 (1枚10万円相当) で、
100,000円✕42,000枚 (両)=42億円だから、
貨幣 (小判) の額面を大きく上回ることになる。
現在、金価格が高騰しているので、こういう結果になるが、当時はさほどの乖離はなかったと思われる。
このように、時代によって経済状況が異なるので、現在との対比は非常に難しい。

いずれにせよ、
一刀はこの莫大な価値のある金塊で、
南蛮渡来の新兵器 “投擲雷” (ダイナマイト状の手榴弾) を、縁のある廻船問屋から荷車一台分購入する。

※劇画『子連れ狼』(小島剛夕画) より



強力な爆発力の投擲雷をもってすれば、裏柳生一門を簡単に壊滅させられるはずだが、
一刀が投擲雷を購入したのは、まだ剣を使えない大五郎が身を護るためにだった。
一刀は武士として、烈堂と剣による果たし合いで決着をつけようとしていた。

しかし、投擲雷は武器として使われることはなかった。
意外な用途に使われることになるのだが、
そのあたりのクライマックスの展開は、またあらためて書くことにしたい。



【注釈】
1. 第1シーズン第2話が欠番となっており、現在、再放送などでは、全話放送といっても78話放送になる。

2. 刀の鞘 (さや) の部分に装着する小刀。小柄小刀 (こづかこがたな) の略。
(画像は刀剣ワールドHPより)

3. “めしもりおんな” とは、宿屋や料理屋で酌や給仕をする名目で実際は売春も行った女性のこと。

江戸幕府は、吉原遊郭など許可した場所以外での売春行為を禁止しており、その網の目をくぐる形で宿場などに置かれた。


4. 『子連れ狼』執筆当時は小池一雄がペンネームだったが、1976年以降小池一夫に改名した。

そのため、『子連れ狼』の原作者を小池一夫と表記する場合もある。