思い出の名作ドラマ『コンバット!』②〈装備編〉 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


サンダース軍曹は敵と遭遇すると、すかさず部隊を散開させて物陰に身を隠し、的確に敵の位置や人数を把握する。
「掩護しろ!」
こう言って軍曹は、掩護射撃の弾幕の中を単身飛び出す。
そして、
巧みに敵の側面に回り込み、トミーガン (サブマシンガン) を撃ちまくる。
敵がひるんだ隙に部下たちも前進し、絶妙のチームプレイで敵を倒していく。

  
 

   


まさに、率先垂範のお手本のようなサンダース軍曹。
これに応える部下たちは、実戦経験豊富な軍曹に対する絶対的な信頼があった。

そのサンダース軍曹の愛銃といえば “トミーガン”。
ここからは、サンダース分隊の装備についてチェックしてみたい。

トミーガン (トンプソン・サブマシンガン)




トミーガンは、第二次世界大戦中のアメリカ軍で、主に下士官 (軍曹、伍長クラス) が持ったサブマシンガン。
軍での制式名はM1(およびM1A1) サブマシンガンという。
45口径拳銃弾を使用し、これをフルオートで発射する。
軍が採用する前は、トンプソン・サブマシンガン (M1921) の名で知られ、警察などの法執行機関で使用していたほか、民間にも普及していた。
ギャング映画などによく登場するので、ご存知のかたも多いと思う。

※トミーガンの初期タイプM1921
 垂直フォアグリップ、ドラムマガジンを装着したもの。

※M1921のドラムマガジン
装弾数50発と100発タイプがある。

※トミーガンの軍用量産タイプM1サブマシンガン
コッキングレバーを右側面に、フォアグリップを水平型にし、
弾倉もボックスマガジン (装弾数20発および30発) とした。


ただし、サンダース軍曹が持つトミーガンは、
リアサイト (照準器) カバーの形状や、カッツコンペンセイターと呼ばれるマズルブレーキが銃口に付いている点などから、
量産型のM1サブマシンガンではなく、
陸軍が制式採用する前に、海軍や海兵隊が使用していたトンプソンM1928だと思われる。


M1ガーランドライフル

分隊の兵士たちが持っている小銃 (ライフル) は、ほとんどの場合M1ガーランドライフルである。
アメリカ陸軍の制式小銃で、7.62×63㎜ライフル弾を発射する。


※M1ガーランドライフル
装弾数8発 (クリップ装弾式)


ガーランドライフルは、同時期のドイツ軍のモーゼルKar98Kや、日本軍の三八式、九九式などの小銃がボルトアクション方式で、
射撃のたびにいちいちボルト (遊底) を操作して空薬莢の排出と次弾の装填を行わねばならなかったのに対し、
引き金を引くだけで次々に発射できる画期的なセミオートライフルだった。

1936年に、ボルトアクション式だったそれまでのスプリングフィールドM1903小銃に替わりアメリカ軍に採用されたが、
前線への配備は遅れ、1942年8月から始まったガダルカナル反攻作戦では、アメリカ海兵隊はまだM1903を使っていた。
それが、同年10月にガダルカナルに上陸してきたアメリカ陸軍部隊はM1ガーランドを装備しているなど、前線では新旧の小銃が混在する状況だった。

実戦部隊への本格配備が進んだのは、1942年11月の北アフリカの戦い以降で、
1944年6月のノルマンディー上陸作戦に参加したサンダースの分隊には、M1ガーランドの配備が完了していたということになる。


BAR (ブローニングM1918)

分隊の中で、カービー二等兵が持っているのは、通称BAR (ビーエーアール) と呼ばれるブローニングM1918自動小銃である。

 


※ブローニングM1918自動小銃
装弾数20発 (ボックスマガジン)


BARは “ブローニング・オートライフル” の略で、7.62×63㎜ライフル弾をフルオートまたはセミオートで発射できる。
同じフルオートが可能なトミーガンが拳銃弾を使用するのに対し、BARはライフル弾を使用する点で威力が大きく、
バイポッド (二脚) も付いていることから、分隊支援火器の性格を帯びた軽機関銃に近いライフルと言える。


M1カービン

ヘンリー少尉が装備しているのがM1カービン。
アメリカ陸軍の制式小銃M1ガーランドライフルより一回り小振りのセミオートライフルで、
7.62×33㎜カービン弾を発射する。



※M1カービン(上)空挺部隊仕様M1A1(下)
装弾数はボックスマガジン15発および30発。


この銃は、飛行場や基地の警備にあたる後方部隊向けに採用されたが、
大戦が始まると、コルトガバメントなどの軍用拳銃より強力で、M1ガーランドより軽く取り回しやすいという理由で、前線の将校や下士官の護身用に配備された。
だから、将校であるヘンリー少尉もこの銃を携行していたわけだ。



「チェックメイトキング2、こちらホワイトルーク。応答願います!」
携行無線機で小隊長のヘンリー少尉と連絡をとるサンダース軍曹。

 

  


『コンバット!』でよく見かけるあまりにも有名なシーンだ。
“キング2” はK中隊第2小隊、
“ホワイトルーク” はサンダース分隊を表すコールサインの符牒で、チェス用語からきている。
しかし、最初の頃は、
「チェックメイトキング、こちらホワイトロック」と言っていた。
日本語版を作る際、資料もない状態で、
翻訳者がオリジナル版 (英語版) を観て、会話を耳で聞いて日本語に訳していたために生じた誤訳だった。
それはともかく、これが『コンバット!』を代表する一場面になった。
子供たちが “コンバットごっこ” をする時、必ずこの真似をしたものだ。


SCR-300無線機


ここに登場するのが、1942年春にアメリカ軍に制式採用された移動式無線機SCR-300だ。

SCR-300無線機
アンテナを伸ばして交信する。


この無線機が初めて実戦で使用されたのは、1943年6月の太平洋戦線ニュージョージア島の戦いで、
以降、ヨーロッパ戦線に多数投入されて活躍した。
真空管18本を組み込んだ本体は、バッテリーの重量も入れて14〜17㎏ (バッテリーの種類による) とかなり重く、兵士一人が背負って携行する。
通話は付属の受話器で行い、通話範囲は条件によって変動するが、約3マイル (4.8㎞) とされている。

※SCR-300使用マニュアル  

※マニュアルの通り、ケーリー
が背負ったSCR-300で交信する
サンダース軍曹。


これとは別に、ハンディトーキー型のSCR-536もあり、
これも『コンバット!』の中によく登場する。
こちらは真空管5本使用、重さ約2.3㎏、通信範囲約1マイル (1.5㎞) で、携帯電話の前身といわれている。
 
※SCR-536

これらの携行無線機を開発したガルビン・マニュファクチュアリング社は、現在のモトローラ社である。


M1スチールヘルメット

 

※反射防止のサンドブラスト
加工を施したM1ヘルメット

※擬装網を被せたM1ヘルメット


当時のアメリカ歩兵の標準的なヘルメットが、M1スチールヘルメットだ。
それまで主流だった洗面器型のM1917ヘルメットに替わり1942年から制式採用されたヘルメットで、
以後、改良を加えながら1980年代まで使用された。
クッションやサイズ調整のひもが付いた樹脂製の内帽 (ライナー) に、高マンガン鋼素材のスチール製外帽 (シェル) を被せて使用する。

※M1ヘルメット内帽 (ライナー) の内側
(画像右が前面)


内帽には外帽ほどの強度はないが、軽いので作業時などに単体で使用したりもする。
スチール製の外帽も、物資が限られた前線では、内帽を取り外して洗面器やシャベル代わりにされることがあった。
また、材質が劣化するので軍は推奨していないが、火にかけてナベ替わりに使用する例も見られた。


『コンバット!』第5話では、
最年少のビリー二等兵のヘルメットの外帽で他の兵士が勝手に煮炊きをするので、ビリーが怒るシーンがある。


※迷彩カバーを被せたM1ヘルメット

そして、サンダース軍曹の迷彩ヘルメットカバーだが、
当時のアメリカ軍は、海兵隊が迷彩カバーを採用していたものの陸軍は採用しておらず、考証がおかしいという意見がある。
しかし、迷彩柄のパラシュート生地を切ってヘルメットカバーにしていた例はあるそうで、
サンダース軍曹もそうしていた設定で問題はないという見方もある。


フィールドジャケット (野戦服) 

世界の軍隊において、それまで制服 (ドレスコート) イコール戦闘服であったが、
アメリカ陸軍はこれを分けて、フィールドジャケットという野戦専用服を開発した。
これにより、戦闘時の活動性が向上したほか、式典などにも着用する制服が汚れる心配もなくなった。
プロトタイプのM38を経て、量産型第1号となったのが、M41フィールドジャケットである。
1941年に量産が開始され、第二次世界大戦中、ヨーロッパを中心に前線部隊に支給された。
『コンバット!』に登場するアメリカ歩兵のほとんどが着用している。

 

※M41フィールドジャケット
表地はコットンポプリン、裏地
ウールフランネルを使用。


これに対し、ヘンリー少尉だけはタンカースジャケットと呼ばれる戦車兵の服を着ている。
 
 

※タンカースジャケット
コットンの表地に、襟や袖口は
ウールのリブになっている。


戦車兵の冬用ジャケットとして開発されたタンカースジャケットだが、
レンジャー部隊も使用したのをはじめ、物資不足のためフライトジャケット代わりに使われたこともあり、戦車兵以外が着用している例も多い。
とくに、将校クラスが欲しがって、特別に入手して着ることが多かったという。
まさにその例に漏れないのが、ヘンリー少尉だったというわけだ。

なお、ヘンリー少尉も最終シーズンの128話 (カラー版) 以降は、当時最新のM43フィールドジャケットを着るようになった。
このシーズンのエピソードから、ヘンリー少尉以外にも、M43を着た兵士が散見されるようになる。

 

※M43フィールドジャケット
裏地にウールを使用していない
オールコットン素材で、洗濯し
ヨレヨレになり難い。


その名の通り、M43フィールドジャケットは1943年に採用された。
しかし、1944年6月にノルマンディーに上陸したサンダース軍曹の部隊は、依然旧型のM41を着用している。
これも考証的にどうなのか? と思うかたもいらっしゃるかもしれないが、
アメリカ軍といえども、装備が改編されても、すぐに全軍が新しい装備に更新できたわけではない。
何せ人数が多い。更新は徐々に進められていった。

とくに、サンダース軍曹の部隊は、北アフリカからイタリアの戦線を転戦してきた歴戦の部隊である。
まだ使える以前の装備のまま、ノルマンディー上陸作戦に参加させられたと考えるのは不自然ではない。
事実、M43の登場後も、終戦まで旧型のM41を使用していた部隊は多い。


以上、今回はざっと装備面から『コンバット!』を考察してみた。
もちろん、ドラマ中に出てくる銃器や装備類は、ステージガンであったり、レプリカの衣裳だったりする。
戦車や車両にいたっては、1960年代であっても本物が残っていなかったり、
残っていても使用できなかったりで、別のものをそれらしく見せて撮影に使っていた。

それでも、ドラマ『コンバット!』は、比較的に年代に即したつくりになっており、
第二次世界大戦当時のヨーロッパ戦線の雰囲気をよく出していたと思う。
複数の出演者のギャラや、セット、小道具、衣裳などに経費がかかり、
『コンバット!』の制作費は、一話あたり当時の金額で15万ドルだったそうだ。
カラー化してから、さらに制作費は高騰し、それが番組終了の原因だったといわれている。

しかし、そのことがこのドラマの価値を毀損するとは思えない。
予算をかけて再現された戦場を舞台に、極限状態におかれた人間の心理を見事に描いた『コンバット!』は、
ヒューマンドラマの傑作として、これからも語り継がれることだろう。