時代を越えたメロディー ①『歩兵の本領』 | サト_fleetの港

サト_fleetの港

ブログで取り上げる話題はノンセクションです。
広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


いよいよ桜の季節となったが、

歌詞に桜の出てくる歌でふと思い浮かんだのが、

“万朶の桜か襟の色…”※注釈1 の歌詞で始まる『歩兵の本領』という歌だ。

明治時代にできた軍歌なのだが、日本陸軍において太平洋戦争 (大東亜戦争) 中まで歌われた。



『歩兵の本領』

作詞:加藤明勝 作曲:永井建子


(一) 万朶 (ばんだ) の桜か 襟の色

  花は吉野に 嵐吹く

  大和男子 (おのこ) と 生まれなば

  散兵線の 華と散れ


(ニ) 尺余の銃 (つつ) は 武器ならず

  寸余の剣 何かせん

  知らずや此処 (ここ) に二千年

  鍛え鍛えし 大和魂 (やまとだま)


※歌は10番まであるが、3〜10番は省略。



映画『太平洋の奇跡』(2011年公開) には、

サイパン島の戦いで、タッポーチョ山に籠城してアメリカ軍に抵抗を続けていた日本軍の部隊が、この歌を歌いながら行進して投降してくるシーンが描かれている。

ご覧になった方もいらっしゃるのではないだろうか。


『歩兵の本領』(軍歌)



この歌は、明治44年 (1911年) に陸軍幼年学校 (後の陸軍予備士官学校) 在学中の加藤明勝が作詞し、
『元寇』『雪の進軍』などの作曲で知られる永井建子 (ながい けんし) が明治32年 (1899年) に発表した『小楠公』のメロディーを拝借して歌にしたもの。
そのため、作曲者は永井建子となっている資料が多いが、
建子は『小楠公』を作曲した際、他者が歌を作る際にそのメロディーを転用してよいとしており、いわば著作権フリーの曲だった。※注釈2

そのため、『歩兵の本領』だけでなく、
『小楠公』を原曲とする歌は数多く存在する。
知られているだけでも、
旧制第一高等学校 (現 東京大学教養学部) 寮歌『アムール川の流血や』、同じく一高内で日露戦争直後に作られた『征露歌』、
大正時代に作られた労働歌『メーデーの歌』(聞け万国の労働者) 、
戦後独立したミャンマーの国軍で歌われている軍歌『ミャンマーは守られる (和訳タイトル)』などがそうである。
陸上自衛隊でも、
『普通科の本領』とタイトルや歌詞の一部を変えて、隊員たちに歌い継がれているという。

また、終戦直後の連合軍占領下ではGHQにより演奏や放送が禁止されたというのに、
驚くことに、現在でも日本全国の高校などで歌われる校歌や応援歌のメロディーに、この曲が使用されている例が多数ある。

このように、当初作られた目的とは違った形でも、120年以上にわたって人々に歌い継がれてきた理由は、

永井建子の作ったメロディーが勇壮ながら万人に歌いやすいものだったことにほかならない。

そして、

ちょっと言葉は悪いが、右の人からも左の人からも愛唱され、時代を越えて生き続けるこの曲には、

人を勇気付けるような力強い生命力とパワーを感じるのである。



『アムール川の流血や』(旧制一高寮歌) 


『メーデーの歌』(聞け万国の労働者)


『防衛大学応援団演舞』


『滋賀県立 彦根東高校応援歌』



【注釈】
1. 当時の陸軍歩兵の兵科色が緋色だったため、軍服の緋色の襟章を桜に見立てた歌詞。

2. 建子がこの曲を発表した『鼓笛喇叭軍歌実用新譜』には、
“本曲譜は七五調で作りたる長編の軍歌にして未だ曲なきものには此の句節にて謡はしむるの作意なれば爰には小楠公の一編を藉り其名となす
との建子の但し書きがある。


【おことわり】
本ブログ中に使用しました動画は、
管理者に削除されるなどして、ご覧になれなくなる場合があります。
ご了承ください。