戦艦 対 航空機 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


昭和16年 (1941年)12月8日未明に行われた日本軍のマレー半島上陸作戦は成功した。
しかし、シンガポールのセレター軍港には、
12月2日にイギリス本国から回航されたばかりの戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』を旗艦とするイギリス東洋艦隊の新主力戦隊 “Z部隊” があり、反撃の機会をうかがっていた。


12月8日夕刻、
トーマス・フィリップス大将を司令官とするZ部隊は、
引き続きマレー半島北部で兵員や物資を揚陸中の日本軍輸送船団攻撃のため、シンガポールから出撃した。
Z部隊の陣容は、
戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と、巡洋戦艦※注釈1『レパルス』、そして護衛の駆逐艦4隻であった。


※戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』


『プリンス・オブ・ウェールズ』は、
1941年1月に就役したばかりの新鋭戦艦で、
同年5月のデンマーク海峡海戦では、
ドイツ戦艦『ビスマルク』と砲撃戦を交えて命中弾を浴びるも沈没しなかったため、
“不沈戦艦” の異名をとるイギリス海軍期待の戦艦である。
基準排水量37,000トン、最大速力28.5ノット。
36センチ主砲10門のほか、
毎分6,000発を発射できるポンポン砲と呼ばれる8連装対空砲4基、同4連装対空砲2基、それに単装対空機銃8基などを装備していた。


※巡洋戦艦『レパルス』


寮艦の巡洋戦艦『レパルス』は、
1916年就役の古い艦であったが、『プリンス・オブ・ウェールズ』にひけをとらない強力な武装を持っていた。
基準排水量32,000トン、最大速力28.3ノット。
38センチ主砲6門、10センチ副砲9門のほか、8連装対空砲 (ポンポン砲) 3基、
10センチ高角砲2基、同単装高角砲1基、
それに、20ミリと13ミリの対空機銃合わせて10基を装備していた。


12月9日午後3時15分、
マレー半島東方海域に展開していた日本海軍の伊65潜水艦が、戦艦らしき二つの艦影を発見、
「イギリス東洋艦隊発見」の第一報を打電したが、その後見失ってしまった。

伊65からの報告を受けた日本軍は、航空部隊による索敵に全力をあげたが、
悪天候と日没により、味方艦隊をイギリス艦隊と誤認して吊光弾 (照明弾) を投下する事態も発生し、その日の索敵は断念した。

一方、『プリンス・オブ・ウェールズ』以下のZ部隊も、
暗夜の海上に照明弾の光が明滅するのを見て、日本軍に発見されたと誤認していた。
(実際は発見されていない)
そのため、
フィリップス大将はいったん作戦を中止して、シンガポールへ帰投すべく針路を反転した。

翌12月10日午前1時22分、
日本軍の伊58潜水艦が、南下中のZ部隊らしき艦隊を発見、
その中の『レパルス』に向け魚雷を発射したが命中しなかった。
この情報はただちに日本軍側にもたらされたが、
Z部隊の位置は、輸送船団とともに行動していた日本艦隊に追撃させるには遠い距離にあったため、
その任務は、仏印 (フランス領インドシナ=現ベトナム) 南部に展開していた第22航空戦隊に委ねられることになった。




第22航空戦隊司令官 松永貞市少将は、
夜明けとともに、サイゴン基地に駐留していた元山航空隊、同じくツドゥム基地の鹿屋航空隊と美幌航空隊の陸攻 (陸上攻撃機)※注釈2 にZ部隊の捜索を命じた。
だが、必死の捜索もむなしく、
昼近くになっても、Z部隊の居場所は、ようとして掴めなかった。

そうした中、
午前11時45分、
元山航空隊の3番策敵機の九六式陸攻 (帆足正音予備少尉機) が、マレー半島クアンタン沖で、ついにZ部隊らしき艦隊が航行しているのを発見した。
帆足機からは、
敵主力見ユ、北緯四度、東経一〇三度五五分、針路六〇度、一一四五」
の無電が司令部あてに打電された。


※九六式陸上攻撃機、通称 “九六式陸攻”。
(下のイラストは元山航空隊機)


これを受けて第22航空戦隊は、
行動可能な全攻撃機をもって、現場海域に向け出撃した。
その間も、Z部隊は刻々と針路を変えて航行していたため、
帆足機は、その都度返針位置を打電するなどして追尾を続けた。


Z部隊上空に最初に到達した攻撃隊は、美幌航空隊の白井中隊の九六式陸攻8機だった。
午後12時45分、
白井中隊の編隊は、対空砲火の弾幕をくぐり『レパルス』上空から、各機2発ずつ搭載した250kg爆弾による水平爆撃を敢行。
次々投下された爆弾のうち1発が『レパルス』艦尾右舷の水上機カタパルト付近に命中、甲板を貫通して爆発した。
『レパルス』はボイラー室が破壊され、火災が発生、黒煙を上げはじめた。

続いて、美幌航空隊と入れ替わるように到着したのは、魚雷を抱いた元山航空隊の九六式陸攻16機だった。
元山航空隊は、第一中隊と第二中隊に分かれてそれぞれ『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』に肉迫して魚雷を発射。
『プリンス・オブ・ウェールズ』は、
九六式陸攻1機を撃墜したが、左舷後部に魚雷1本が命中、
爆発による損傷で浸水が激しく、左舷に10度傾斜、速力も20ノットに低下した。
一方、『レパルス』は、テナント艦長の巧みな操艦で、8本の魚雷すべてを回避した。

午後1時20分、
美幌航空隊第四中隊の九六式陸攻8機が到着。
『レパルス』に対して魚雷攻撃を行ったが、命中しなかった。
第四中隊は、対空砲火で3機が被弾して損傷したが、墜落機はなかった。

午後1時37分、
今度は、鹿屋航空隊の一式陸攻26機が到着。
うち、第一中隊の9機が、海上を旋回して回避行動を行う『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』に魚雷を発射。
『プリンス・オブ・ウェールズ』右舷に3本、左舷に1本を命中させる。(日本軍側記録)
また、左舷に魚雷1本が命中した『レパルス』は、左舷機関室から浸水を始めた。


※一式陸上攻撃機、通称 “一式陸攻”。
(下のイラストは鹿屋航空隊機)


次いで、第二中隊の8機、第三中隊の9機も攻撃を開始、二戦艦に複数の魚雷を命中させるも、『レパルス』を攻撃した第三中隊の2機が撃墜された。
他にも、激しい対空砲火で11機が被弾した。

そして、午後2時3分、
この鹿屋航空隊の攻撃で魚雷5本が命中した『レパルス』は、左舷に転覆して沈没した。
テナント艦長ら海上に逃れた乗組員は、駆逐艦『エレクトラ』と『ヴァンパイヤ』が救助に努めたが、
乗組員1300名のうち、508名が戦死した。


※中村研一画『マレー沖海戦』
(東京国立近代美術館)

※日本軍機の攻撃を受ける
『プリンス・オブ・ウェールズ』(上)
 と『レパルス 』(下)。


魚雷4本が命中した『プリンス・オブ・ウェールズ』は、
午後2時段階では、炎上しながらもまだ浮いていた。
そこへ、とどめを刺すべく来襲したのは、美幌航空隊の九六式陸攻17機だった。

まず、その中の大平中隊9機が攻撃を試みたが、編隊の爆撃を誘導する一番機の爆撃手が目標を見誤り、
『プリンス・オブ・ウェールズ』のかなり手前で投弾してしまい、同艦には命中弾はなかった。
しかし、続く武田中隊8機の爆撃で、500kg爆弾1発が『プリンス・オブ・ウェールズ』に命中。
最上甲板を貫通して艦内部で爆発し、乗組員多数が死傷した。

午後2時50分、
航行不能となった『プリンス・オブ・ウェールズ』は、ついに左舷艦尾から沈んでいった。
沈没前に駆逐艦『エキスプレス』が横付けして乗組員を救助したが、
その中には、Z部隊司令官フィリップス大将や艦長のリーチ大佐の姿はなかった。
乗組員1600名のうち、戦死者は327名であった。

救助を行う駆逐艦『エクスプレス』。


『プリンス・オブ・ウェールズ』沈没にいたるまでの一連の模様は、
最初に同艦を発見した元山航空隊の帆足機が、終始観測を続け、その最期も司令部へ打電していた。
この時点で、帆足機の燃料は、とうに基地に帰還できるギリギリの量を消費してしまっていたが、
帆足予備少尉は、燃料節約のため、機内の装備品から7名の搭乗員の飛行服まで、重い物はすべて機外に投棄させ、フンドシ1枚になって飛行を続けていた。
帆足機がサイゴンの基地に帰還した時、その燃料はほとんど0であった。


※『プリンス・オブ・ウェールズ』
以下のイギリス東洋艦隊Z部隊と
日本軍航空隊の戦いは “マレー沖海戦” 
と呼称される。


『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』の沈没は、イギリスのチャーチル首相や軍首脳に大きな衝撃を与えた。
それと同時に、この2隻が航空機の攻撃によって沈められたことは、
世界の海軍関係者の間で戦わされていた “戦艦と航空機のどちらが強いか” の議論に終止符を打つことになった。

それまでも、日本軍の真珠湾攻撃や、それに先立つ1940年のイギリス軍のタラント軍港 (イタリア) 空襲で、空母の艦載機が戦艦を撃沈している。
だが、それらは港内に停泊中の戦艦であり、しかも奇襲 (不意打ち) による戦果だったとして、
依然、戦艦優位の意見は根強くあった。

それが、『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』は、洋上を航行して作戦行動中に航空機による攻撃で沈没し、
日本軍航空部隊で撃墜されたのは3機 (戦死者21名) のみだったという事実は、
いかに対空装備を強化した戦艦であっても、
その速力よりはるかに高速で飛来する航空機の群れからの攻撃には脆いことを証明した。

このことを、最も敏感に戦略に反映させたのはアメリカであった。
アメリカ海軍は、空母部隊を増強して、海戦の主役を戦艦などの水上艦艇から航空機へと転換していった。
日本軍は、皮肉なことに、自らが世界に知らしめた航空機優位の理論を積極的に実践したアメリカ軍に圧倒され、
やがて、ジリジリと後退を続けていくことになる。



【注釈】
1. 戦艦に匹敵する大口径の砲を装備した大型艦で、艦の性格的には、巡洋艦と戦艦の中間に位置する。
軽快な運動性能と速力を有しているが、その分装甲などの防御力は犠牲にしている。

2. 日本海軍の航空機のうち、空母で運用される艦上攻撃機に対し、陸上の基地から発進するタイプの大型攻撃機。
魚雷または爆弾により敵艦を攻撃するが、長い航続距離を活かして偵察や渡洋爆撃も行う。