ミッドウェー海戦の日〈後編〉 | サト_fleetの港

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広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


日本機動部隊が、低空で来襲するアメリカ軍の雷撃隊に気をとられている隙に、
ノーマークだった上空の雲間から、空母『エンタープライズ』、続いて『ヨークタウン』の急降下爆撃隊が攻撃をかけてきた。



急降下爆撃機の放った爆弾は、

兵装転換のための魚雷や爆弾が所せましと置かれ、発艦を待つ艦載機がひしめく日本空母に次々に命中した。




急降下爆撃機の爆弾は “徹鋼弾” であるため、
命中したあと甲板や装甲を貫き、空母の内部で爆発した。
この爆発は蓄積されていた魚雷や爆弾を誘爆させ、大爆発と火災を引き起こした。
日本機動部隊の空母のうち、
『加賀』『赤城』『蒼龍』が、たちまち爆発炎上し、航行不能となった。



日本軍の空母は攻撃力は優れているものの、
火災に弱いなど、防御の面では アメリカ空母に比べ劣っているといわれていた。
ミッドウェー海戦では、その弱点が致命傷となって露呈される形となった。

攻撃力を最優先し、防御力を軽視する当時の日本軍の姿勢は、空母に限らず戦闘機や戦車など兵器全般に見られた。
例えば、あのゼロ戦(零式艦上戦闘機)も、
速力と運動性能を増すために、搭乗員(パイロット)を守る防弾装備を施さず重量を軽くしていた。

アメリカ軍は、これら日本軍の弱点を研究し、戦術に活かしていた。
それはやがて、日本軍をジリジリと追い詰めていく結果となる。



日本機動部隊の旗艦『赤城』を含む3隻の空母が大破して沈みつつある中、南雲司令官は脱出して軽巡洋艦『長良』に移乗した。
そして、
『長良』に将旗を移して、指揮をとり続けた。

この時、第2航空戦隊の空母『飛龍』だけは被害を免れていた。
雲が『飛龍』を上空から発見しにくくしていたのと、
アメリカ空母の雷撃隊来襲の際、魚雷を回避して機動部隊から離れた位置にいたのが幸いしたのだ。

『飛龍』座乗の第2航空戦隊司令官 山口少将は、
自らの主張通り、敵空母発見と同時にすみやかに攻撃隊を発進させていれば、と悔しがった。



「こうなったら『飛龍』単独で、殴り込みをかける!」
山口少将は、すかさず反撃体制に移った。
今ならアメリカ軍の空母は、日本機動部隊の攻撃から帰還した攻撃隊を収容中のはずで、
これに乗じて攻撃すれば、より効果が大きいと判断したのである。

まず『飛龍』に残っている艦載機のうち、
九九艦爆(急降下爆撃機)18機に護衛のゼロ戦6機を付け、第1波攻撃隊が編成された。



第1波攻撃隊は、発進した後、
母艦に帰還するため飛んでいたアメリカ軍機の編隊を発見。
これを追尾して、アメリカ空母『ヨークタウン』に接近することに成功した。

そして、
グラマンF4F戦闘機の迎撃と対空砲火の中、決死的急降下爆撃を行うと『ヨークタウン』に爆弾3発を命中させた。
そのうちの1発はボイラー室を破壊し、
『ヨークタウン』は火災を起こして航行不能となった。

これに対して日本側は、隊長の小林大尉機を含む艦爆13機とゼロ戦3機を失った。



黒煙を噴き上げる『ヨークタウン』を見ながら帰還の途についた第1波攻撃隊は、
「ヨークタウン型空母1隻撃沈」
と報告した。


その頃、軽巡洋艦『長良』に移っていた日本機動部隊の司令部は、
アメリカ機動部隊の空母は3隻であることをようやく把握していた。
これは、撃墜されて漂流していたアメリカ軍機のパイロットを捕虜にし、尋問した駆逐艦隊からの情報によるものだった。

この情報は『飛龍』の山口少将にも もたらされた。
山口少将は、残りのアメリカ空母攻撃のため第2波攻撃を命じる。
第2波攻撃隊は、先のミッドウェー島空襲部隊の隊長だった友永大尉が再び指揮をとり、
魚雷を装備した九七艦攻(艦上攻撃機)10機とゼロ戦6機で編成された。

ところが、
友永大尉の搭乗機(九七艦攻)は、ミッドウェー島空襲の際に被弾して燃料タンクに穴が開いていた。
そのため燃料が漏れ、アメリカ空母の位置まで行き着くことはできても、
『飛龍』まで帰還できるかわからない状態だった。

友永大尉は、他の搭乗員が別の機体に替えるよう進言しても
「今は1機でも多い方がよかろう」
と言って聞かず、
整備兵が制止するのを振り切って出撃して行った。



友永大尉の第2波攻撃隊が アメリカ機動部隊の上空に到達した時、
小林隊の第1波攻撃で炎上していた『ヨークタウン』の火災は鎮火していた。
防御力の弱い日本空母と違い、アメリカ空母の消火体制は万全に近いものがあった。
『ヨークタウン』は、2時間ほどで自力航行できるまでに復旧していた。

そんなこととは知らない第2波攻撃隊は、攻撃していない別の空母だと誤認し、再び『ヨークタウン』を攻撃した。
魚雷攻撃のため、海面すれすれに『ヨークタウン』に肉迫する攻撃隊の周囲に、
激しい対空砲火が炸裂した。



弾幕をかいくぐって雷撃を敢行した第2波攻撃隊は、
『ヨークタウン』に魚雷2ないし3本を命中させた。
しかし、この時、隊長機の友永大尉機は、
魚雷を発射後、対空砲火を浴びて翼から火を噴いた。

その時の記録は、日本側の戦闘詳報に残っている。
隊長機を示す尾翼の塗装がある友永大尉機は、炎上しながら『ヨークタウン』の艦橋付近に突入して自爆したという。



この第2波攻撃で日本側は、
友永大尉機をはじめ、艦攻5機、ゼロ戦2機を失った。
一方、
『ヨークタウン』は 爆発孔から浸水、左舷に傾斜して停止したが、まだ浮いていた。



6月5日(現地時間4日)早朝に日本機動部隊がミッドウェー島を空襲してから、すでに10時間以上が経過していた。
日本機動部隊に唯一残された空母『飛龍』には、帰還した第2波攻撃隊の生き残りを含めても、
出撃可能な機は、ゼロ戦6機、艦爆5機、艦攻4機しか残っていなかった。

それでもなお、
山口少将は、アメリカ機動部隊に対する第3波の薄暮攻撃を計画していた。
あくまでも、残っているアメリカ空母を叩くため、最後まで戦う決意を固めていたのだ。
しかし、
アメリカ機動部隊も『飛龍』攻撃のため、続々と攻撃隊を発進させていた。

ほどなく、『エンタープライズ』『ホーネット』などのアメリカ空母の艦載機が、
空母『飛龍』とその周辺に展開する軽巡洋艦『長良』(南雲司令官座乗)、戦艦『榛名』および 重巡洋艦2隻、駆逐艦3隻の日本艦隊を発見した。



アメリカ軍機は攻撃に移り、それは入れ替わり立ち替わり来襲した。
日本側は防戦に努めたが、ついに『飛龍』は爆弾4発を受け炎上した。

それでも『飛龍』は、炎上しながら日没後まで浮いていた。
護衛の駆逐艦も接近して消火を試みたが、誘爆の発生により、やむなく断念した。
夜遅く、生き残った乗組員に退艦命令が出され、
『飛龍』は 味方駆逐艦の魚雷で処分されることになった。
山口少将は、部下たちと最後の別れの挨拶を交わしたあと、
赤々と夜空を焦がして燃える『飛龍』の艦橋に残って 艦と運命をともにした。



しかし この時、
『飛龍』の艦底部にある機関室には、必死の消火活動を続けた機関兵たちがまだ生存していた。
機関室と外部をつなぐ電話が不通となって連絡がとれず、機関科要員は全滅したと思われていたが、
彼らは、機関室を守れば『飛龍』は日本へ帰ることができると信じ、持ち場を死守していたのだ。

まだ生存者がいる『飛龍』に 駆逐艦『巻雲』から魚雷が発射され、
『飛龍』は爆発して徐々に沈んでいった。
ところが、
皮肉なことに、爆発で出来た艦底の穴から機関兵のうち34名が脱出に成功した。
彼らは、洋上を漂っているところを、後日 アメリカ軍に救助され捕虜となった。


日本機動部隊で最後まで残って奮戦していた『飛龍』沈没の報を受け、
翌 6月6日、後続の連合艦隊本隊の山本五十六大将は敗北を認め、ミッドウェー島攻略作戦の中止を決定した。



この作戦で日本軍は、合計350隻の艦艇と1000機の航空機を西太平洋上に展開していたが、
それは広大な範囲に分散しており、本隊から前方に突出する形で前進していた第1航空艦隊(南雲機動部隊)を支援できなかった。

空母『隼鷹』『龍驤』を擁する第2機動部隊は、ミッドウェーからはるか北のアリューシャン列島近海におり、
連合艦隊本隊も、戦艦『大和』『長門』などの強力な戦艦群とともに空母『鳳翔』『瑞鳳』をともなっていたが、
この時点で、ミッドウェー沖の機動部隊から900㎞以上も後方にいた。



日本軍の大艦隊が、針路を反転して撤退したあとの6月7日、
『飛龍』攻撃隊の猛攻を受けて大破したアメリカ空母『ヨークタウン』は修理のため、駆逐艦に守られながら 真珠湾に向けて曳航されていた。

これを発見した日本海軍の 伊168潜水艦は、4本の魚雷を発射。
うち2本が『ヨークタウン』に、1本が伴走していた護衛駆逐艦に命中、両艦は轟沈した。



この 伊168による空母『ヨークタウン』撃沈が、ミッドウェー海戦の実質的最後の戦闘だった。

ミッドウェー海戦における日米両軍の損害は、次の通りである。
■艦船
〈日本軍〉
・沈没:空母4隻、重巡洋艦1隻
・大破:重巡洋艦1隻 等
〈アメリカ軍〉
・沈没:空母1隻、駆逐艦1隻
■航空機
〈日本軍〉
・喪失:約290機
〈アメリカ軍〉
・喪失:約150機
■兵員
〈日本軍〉
・戦死:3,057名
〈アメリカ軍〉
・戦死:307名

※日本軍の損害のうち、航空機の喪失と戦死者数に関しては、
当時、大本営が作戦の失敗を極秘にして情報操作をしたため、資料や研究者によって相違がある。


日本軍にとって、ミッドウェー海戦の敗北は、アメリカ軍空母の撃滅に失敗したばかりか、
主力空母4隻とベテラン搭乗員多数を一挙に失う結果になった。
これにより日本軍は、
以後の戦局の主導権を、アメリカに奪われていく。

もし、日本軍がこの海戦で勝利していたら、
日本軍はミッドウェー島からハワイ諸島までを勢力圏内に収め、アメリカ西海岸も日本軍機の空襲にさらされていただろうと言われている。

その意味で、ミッドウェー海戦は日米双方にとって、
まさに、国家の存亡をかけた乾坤一擲(けんこんいってき)の一大決戦であった。
そして、
戦いの中で見せた両軍将兵の奮闘は、
世界戦史の上で、後世長く語り継がれることになったのである。


 おわり



【おことわり】
今回使用しました画像は、非営利目的の個人的ブログ記事のイメージ画像として、
実際の記録写真のほか、映画『太平洋の嵐』『トラ・トラ・トラ!』『ミッドウェイ』『聯合艦隊司令長官 山本五十六』『永遠の0』などから引用させていただきました。