保育園での一連の流れの中で感じたモヤモヤ。
新年度の準備から始まり、新年度、そして5月の連休明けまでは慌ただしい日々が続きます。 夏を迎える頃になると、子どもたちも少しずつ落ち着いてきます。 クラスの状況を見極めながら、朝の会から始まる保育園生活。 椅子に座ったり、先生のお膝の上に座ったりして、みんなで集まって行います。
(0歳児さんは、一人ひとりのペースに合わせて行います)
そんな中で出てきた、当時の園長先生の考える「主体性」。 「朝の会はやらなくてもいいのでは?」という意見でした。 長年、保育の流れの中で働いてきた私にとって、 みんなで「おはようございます」を言わないことに、どこか違和感がありました。 朝の会がない場合、以上児は園庭で遊んでいたり、室内で自由遊びをしています。 未満児は、おやつを食べ終えると、 汚れた子の対応をする保育士、片付けをする保育士、子どもを見る保育士と、それぞれに分かれます。 限られた人数の中で子どもを見守るには、
一度みんなを同じ場所に集め、手遊びや絵本を通して、落ち着いて食後の時間を過ごす必要があると感じていました。 人手が限られているからこそ、 目の届く範囲に集まることにも意味があります。 また、朝の会を行うことで、 人数確認をもう一度できたり、 朝の受け入れ時に行っている視診に加えて、 その後の体調の変化にも気づきやすくなります。 「落ち着いて座る」という経験にも、意味があると思っていました。 一方で、主体性を大切にするなら、無理に座らせなくてもいい。 絵本も、見たい子が見ればいい。 朝の会に参加したくない子は、参加しなくてもいい。 もちろん、保育士も無理に座らせているわけではありません。 配慮が必要で参加が難しい子については、日々の生活の中で見極めていくものだと思います。 個別対応が必要な子がいることも理解しています。 ただ、すべての子どもに対して「主体性=個別対応」となると、 今の体制では、保育士の数が足りません。 現場の基準人数だけでは、どうしても手が回らない現実があります。 保育士不足や、保育園への期待の大きさ、そして個別対応の増加。 そのすべてに応えようとすると、どうしても限界が出てきます。 これは保育園だけの話ではなく、 学校、福祉、看護など、さまざまな現場で同じように人手不足が続いています。 それでも一人が担う人数は多く、負担は大きいままです。子どもの主体性はもちろん大切ですが、主体性🟰子どもの自由にするで、本当に良いのでしょうか?