合格体験記2023・その3 多摩美術大学テキスタイルデザイン専攻推薦入試合格 | 渋谷美術学院、代表のひとりごと

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多摩美術大学テキスタイルデザイン専攻 推薦入試合格

 

M.M

東京都 共立女子高等学校 現役合格

 

 

 

枠から外れることが怖い。

 

 

決断に迷う。

過度の心配性。

これが従来の私の性格だ。

 

美大受験は本来の私であれば間違っても手を出さない領域だ。

なぜなら美大とは学力を高めれば必ず受かると保証されてるものでなく、

センスを見られる感性を問われ「明確な正解がない」世界だからだ。

そんな私がなぜ美大を志し合格に至ったか思い返せばすべてが「出会い」だったと思う。

これから合格までのたった1年半の間に起こった出会いの話を書こうと思う。

(もっとも大きな出会いは渋谷美術学院と山本先生であったことは言うまでもないが後述する)

 

 

 

ファッションデザイナーになりたかった私は家政科の被服を志望していた。

ところが進路決定書類提出の3日前になって、

高校の美術科の先生方が立て続けに、

私に「美大を受けないのか」と言ってきた。

しかも3人も!

 

1人は私が趣味で作った作品を中1から見せ続けて

「あなた変わり者ですね」と愛を込めて言い続けてくれた先生。

その言葉に意味があるに違いないと感じた私は、

家政科から美大志望に切り替えた。

美大受験をすすめられたこの時から

たった2ヶ月後、この先生は癌で逝去された。

 

 

そこから私はすぐに大手美術学院に入学する

 

 

ずっとモヤモヤとしていた。

合格まで道筋がわからず不明瞭なことが不安で、

あまり成長を感じることができないでいた。

毎回の絵で合格に近づいているという感覚が得られなかった。

このままでは絶対に受からない…

得意の不安がまた顔を出し始めていた。

 

 

そんな中、高校の進路相談会で

渋谷美術学院に通っていた高校の先輩に出会う。

初対面であるにも関わらず、先輩からは本音しか語らない誠実さのようなものを感じた。

「すごくオススメだ。悩んでいるなら渋谷美術学院に変えた方がいい」

気持ちが落ち始めた私に絶妙なタイミングでのアドバイス。

この言葉にもまた運命的な意味があるに違いないと感じ、

すぐに渋谷美術学院の面談に申し込んだ。

この時はまだ、迷う性格の私が

ここまで早い決断で動いていることに気がついていなかった。

 

 

 

初めての渋谷美術学院訪問の日は幸先最悪。

私は遅刻したのだ。

枠から外れるのが嫌いな私は本来遅刻は大嫌い。

当日大雨であったため、先生に見せる作品を持参するために車で出発し、

渋滞に巻き込まれたのだ。

(「渋滞に巻き込まれて遅刻」はこの後、受験当日まで私につきまとう象徴的なワードなのだが・・・)

 

 

 

20分も遅刻したアトリエで出迎えてくださったのは、

全く遅刻を気にもしていなそうな山本先生。

初見「野球のできなそうなビックボス」だった。

只者ではないと直感的に感じ、

その先の壁にあるのは参作の数々。

どうやって描くのか検討もつかないものばかりだった。

その山本先生と作品が並べられている空間そのものに圧倒された。

レベルが高いだけでなく今まで予備校で見たことがない作風のオシャレなデザイン。

ここで学ぶ事を切望したのはすでに入室したこの瞬間だったかも知れない。

 

 

面接開始すぐに私の作品をパラパラとみて・・・

 

「週5コースでも週2コースでもどっちでも大丈夫です。」

「合格しますよ。」

 

 

あまりにもあっさり合格を宣言され、

合格に必要なのはどれだけデッサンやデザインをこなしたかの回数やかけた時間だけでなく

マインドが大切だということを教えてもらった。

 

心配性の私のチョイスは当然週5コース一択であったが、

人気で既に空きがない。と聞いていた。

そんな…と落ち込む暇もなく、 

 

「ちなみに、週5コース今さっき空きましたよ」

 

へ?である。

またも運命。

私らしくない即決と

その通りに動いていく現実に呆気にとられていた。

この場所と先生が私を必ず合格に導いてくれる。

心配性の私がそう確信した。

 

 

渋谷美術学院と山本先生という空気に私自身が影響され、

すでに気がつかないうちに変わり始めていたのだった。

即決断。

スピーディーに行動する私。

 

そして高3から学院に通い始めた。

入塾し、自分の無知をまざまざと知る。

渋谷美術学院に来てはじめて平塗りを知った。

溝引きや点描も。

 

半年程は大手美術予備校に通っていたにも関わらずデザインは一度しか描いたことがく、

石膏デッサンばかりをやっていたこともあり

私大デザイン科に必要な手のデッサンをほとんどやったことがない状態だった。

お約束課題「○○と両手のデッサン」は案出しするのが楽しかった。

講評の時の他のみんなの想定外のアイディアの作品。

講評でもらうアドバイス。

いろいろな作品をみて刺激をもらうだけで上達したような充実感がある。

ハイコントラスト、色ラボ、トーンチャートなど

今までにやったことのない課題のやる意義が最初は理解できなかった。

が、次第に課題をやった後の次作に

明らかに反映されているのを感じで本当に嬉しかった。

 

4月。

渋美の刺激と感動にもすぐに慣れ始め、

冷静に自分の作品に点数などがつき始めると

私のテンションもだんだん落ち込み気味になってきた。

なかなか伸びない点数、どうしたら上段の人のようなデザインや描きができるのか。

周りのレベルの高さと自分の現状を比べてしまい、また焦りが顔を出した。

 

 

7月。

そんな中、夏期講習に突入した。

ネガティブが顔を出した私を救ったのは、

実際合格した学院の先輩による「生デモストレーション」

見るだけで上達という新しい観念を気がつかせてくれた貴重な体験だった。

 

夏休みは取り憑かれたように渋美に毎日通った。

 

早めに学院に行き、参考図書を見てデザインを考え、参作を見る。

渋美の図書スペースは大きな図書館を凝縮したような厳選の数々。

夢中で読み漁った。

案出しも何回も先生方に相談。

実際描く時間がない時は、通学の電車の中でデモストを思い出しては

頭の中でシュミレーション。

そんな事を繰り返しているうちに、

気がつけば何度か上段に自分の作品が上がることともあるようになっていた。

 

完全に渋美マジックにかかっていた。

 

たった約25日間(で約50作品を制作する)。

その夏期講習が私の合格には最も不可欠な日々だったと言っても過言ではない。

夏休み明けすぐに描いた花と両手のデッサンで

「良い感じ」と評価されたその言葉が

まるで、デザイン界へ入門しても大丈夫だよ。

と背中を押された気がした。

 

 

11月。

順調に見えた私の受験に事件が起きる。

テキスタイルデザイン専攻、総合型選抜入試の準備が遅い問題。

優柔不断がたたり、山本先生には早くしてよと急かされる日々。

そこで追い討ちをかけるように、

願書に添付した提出作品内容のコンセプトの大幅な変更だった。

提出する予定のデザイン画が山本先生のチェックで全てボツ。

それが受験日4日前。

さすがに「もうダメだ」と思った。

 

小心者の私は軽く涙した。

 

山本先生が入試4日前に新しく投げ込んだテーマは、

私を美大受験を勧めた美術の先生に見せた作品に関わるもの。

つまり、「あなた、変わり者ですね」の評価をいただいた

例のコンセプトの作品に急遽大変更を指示されたのだ。

 

 

意味わからん!

 

 

だったが、そんな事を考える時間は1分もない。

とにかく、変わり者ですねのテーマで新しい作品を夢中で作った。

結果、これが合格の決め手の一つであったことは間違いない。

またも山本マジックに助けられたのだった。

 

 

受験日1日目。

渋滞に巻き込まれて遅刻。実際に本当に入試本番当日に遅刻した。

30分遅刻で失格。即終了だったが、多摩美の会場の席に着いたのは失格2分前。

1時間で書く小論文を30分で仕上げるという窮地に立たされた。

大いに焦ったが、ここでも渋美の日曜学科特訓でやっていた

「20分で小論文」の練習が役に立ち、無事書き上げる事ができた。

 

 

午後。実技試験開始。

モチーフはみかんと紙箱だった。

構図を決める時はモチーフのどんなところを見せたいかを考えて

それが映えるよう配置する。

その教えが頭に響き渡り、迷う私が1秒も迷うことなく

直感でこれが良い!と思った構図でスピーディーに描き出すことができた。

 

 

 

決して技術的に上手いわけではなかった。

しかし、出来上がった作品は教室の周りの画面とは明らかに違っていた。

作品が「受かるんじゃないの、これ」と言っていた。

自信家とはほど遠い性格の私がこの境地。

それに1番驚いていた。

受験会場でも他予備校と一線を画す作風。

私の実力でなく、つまり渋美圧勝の瞬間だった。

 

 

 

 

受験2日目。

 

面接。

 

山本先生のぶっ込みテーマ、

変な人ですねのコンセプトの作品は試験官の先生方は興味津々だったようで大成功。

山本先生のアイデアで面接の最後に

教授の先生方にプレゼントしたデッサン画のステッカーは、

他の受験生の方々と完全差別化で良い意味で爪痕を残せた。

山本先生、本当にありがとうございます。

 

 

 

これで、私の合格体験記はお終い。

 

合格発表の日、合格したにも関わらず、

すぐに山本先生に連絡せずにそれも遅刻。

というプチエピソードもあるが、私が言いたいこと。

 

それは、

「渋谷美術学院という名のミキサー」に

私の心配性、優柔不断などのモヤモヤ性格を入れて、

それに山本先生のご指導、お言葉、プロの視点、研ぎ澄まされた感性を投入。

ぐちゃぐちゃに混ぜ合わせてもらった。

そして最強の合格マインドを作ってもらった。

これをたった8ヶ月で整えてもらったのだ。

 

 

 

もし私のように不安や焦りを感じていても

「渋谷美術学院というミキサー」に

山本先生スパイスを入れて撹拌されてみたら

必ず合格が見えるはず。

来てみたらきっとわかる。