リリーのすべて | 想像と好奇心でできている

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野いちごでは、 『テレビの感想文』ときどき更新。

原題は『The Danish Girl』。

 

あらすじを読んだあとだと、『リリーのすべて』のほうが、わかりやすいタイトルだと思う。

私はこのタイトルで、ます最初に見取り図のリリーさんが出てきたけど。笑

 

原題について検索すると、Danishは「デンマーク」の、「デンマーク人の」という意味なので、

原題は「デンマーク人の女の子」という意味になる。

 

つまり、この『リリーのすべて』は、男性で、結婚している主人公が、デンマークの女の子になっていこうとする物語、ってこと。

 

 

風景画家のアイナー・ヴェイナーと、肖像画家で妻のゲルダは、デンマークで充実した日々を送っていた。

 

このアイナーさん、のちに女性の”リリー”にとして過ごす時間が増えていくんだけど、最初は心も男性に見える。

アイナーが絵を描いていると、後ろからゲルダが抱きついてくる。それを仕事の邪魔だからと嫌がったりしない。

妻が服を脱いで白いスリップドレスの下着姿になると、それをベッドに入ってるアイナーが見て、「新品だな」と気づいたりする。

 

心の中に「女性」がいても、恋愛対象になる性別は「女性」。

 

これは、たぶん私の中にある、「決めつけ」みたいなものなんだろうな。

心の性別(性自認)が「女性」の男性は、恋愛対象も「男性」。だったら、妻のゲルダは、恋愛対象じゃないのでは? と。

 

 

違う話になるけど、この前『This is me!!』を見た。

 

この番組は、LGBTQの当事者の方と、番組ホストの方が話をするトーク番組。

 

番組で、ゲイの方がネットで差別的なことを言われ、かなり精神的に追いつめられたと話していた。

人前に顔と名前を公表していると、そういうひどい目にあうこともある。

だいたいこういうとき、攻撃する人たちは、匿名だ。顔だってわからない。

 

テレビ番組で、セクシャルマイノリティの方をとりあげたり、その当事者の方たちの声を聴くなど、見たり、聞いたりする機会はすごく増えた。

「LGBTQ+」とか、「多様性」なんて言葉を目にする機会も増えた。

 

ただ、「理解」はそんなにされていないんじゃないかな。

 

そもそも、理解があったら、ネットでわざわざ攻撃したりしないでしょ。

 

 

子どもの頃に、アイナーが女装したことを知っているハンスに、自分の気持ちを打ち明けるアイナー。

病院に行って、治療をするようにすすめられる。

ところが、ある医者では「自己同一性が……」。

また別の医師は、「同性愛です」(これは違うよね。アイナーは女性になりたいと思ってるし)

 

しまいには、医師が途中で「ちょっと失礼」。え? 行っちゃった。

アイナーが、目の前にあった自分のカルテを手に取って見てみると、”精神分裂”と書かれていた。

2人の男性とともに、部屋に戻ってきている医師。アイナーは、窓を開け、非常用の階段から外に脱出。

 

もし、このとき外に出なかったら、これって、(精神科の)病院に入れられていたってことだよね?

まるで危険人物扱い。

 

その当時の時代の常識とか価値観のせい、「性同一性障害」の知識がなかったから、っていうのもあるけど……、確実に、その時代にもリリー(アイナー)な人は存在していたってことだからなぁ……。

 

 

2回目の手術を終えたリリー(アイナー)。

かなり顔の色が白くなっている。

 

ストレッチャーのようなものに寝たまま外に出て、ゲルダが付き添っている。

「昨夜、とても美しい夢を見たの」

夢の中では赤ん坊で、母親の腕に抱かれている。母親は、自分をリリーと呼んでいた。

 

すうっと眠っていくリリー。ゲルダが降れても目を覚まさない。

泣いているゲルダの前で、息をひきとったリリー。

 

ハンスが運転する車が止まり、車から降りてきたゲルダ。

そこには、ストーリーの前半、アイナーが描いていた風景画と同じような、木が5つ並んでいる場所が。

 

高い丘の上にいる2人。丘の下には、緑色とベージュの畑のような地面、その先には淡いくすんだ水色の海。絵に描いたらきっと綺麗な風景画になる。

 

風が吹いている。雲の切れ間から光が射し、天使のはしご(薄明光線。綺麗だったな)ができていた。

ゲルダの首にかけていたスカーフが、強い風でさらわれ、飛ばされていった。

スカーフを追いかけるハンスに、「いいのよ」とゲルダ。

 

空へと高く高く舞い上がるスカーフが、ずーっと飛んでいる。

「飛ばせてあげて」とゲルダ、少し目に涙がにじんでいるけど、微笑んでいる。

まるで鳥が自由に飛んでいるかのように、風に乗って飛んでいるスカーフ。もう解放されたから……。

 

これで映画は終わり。

 

「1993年 画期的な「男から女へ」が出版された」

「彼女の勇気が――」「今もトランスジェンダー運動を鼓舞し続ける」

 

そして最後に表示された文章が。

 

「ゲルダは生涯

リリーの肖像画を描き続けた」

 

リリーの絵を描き続けることで、この世に残そうと(絵の中で生かし続けようと)したのかな。

ゲルダにこうさせたのは、愛っていうか、なんて言ったらいいのかわからないけど、それ以上のなにか強い気持ちだよなぁ……。

 

 

ところで、一か所残念なシーンが。

 

2回目の手術を終え、高熱が出たあとに回復したリリー。

ゲルダとハンスといっしょにストレッチャーみたいなものに寝たまま外に出てるシーンで、リリーの顔がかなり白くなっている。

 

この前のシーンで、手術で出血があった、高熱が出た、と医師が言っていたし、リリーの血の気が失せているってことはわかるんだけど、

首もとに本来の、オレンジ色がかった肌の色が見えてしまっていて、そこで二色になっちゃってるんですよ。

白いマスクかぶってるみたいになっていて。

 

そのあとカメラのアングルが変わって、また白い肌だけが見えるようになるんだけど、

この白い肌も、ちょっと白すぎやしないかっていう肌の色で、不自然な気が。

メイクさーん。(笑)

 

映画がそろそろ終わる段階のシーンだったし、肌の色が気になり、気持ちがやや冷めてしまったのは残念。

 

 

リリー(アイナー)に救いがあったのは、

子どもの頃、「かわいかったから」リリーにキスをしたことがある友人のハンスが、大人になっても友人として変わらず、病院に行くようにすすめたこと(これがなかったら、アイナーは手術を受けることはなかった)

文字通り最期まで寄り添って、アイナーも、リリーに対しても、心の支えになろうとしたゲルダ。

この2人の、すばらしい理解者がいたこと。

 

あと、アイナーとゲルダのいる部屋の中で、ちょこまか走り回っていた、飼い犬のヴァッペ。

ジャックラッセルテリアで、耳だけ黒い、右目だけ茶色い模様になってる白い犬。

これがかわいいの。アイナーとゲルダが2人でソファでイチャイチャしてるときでも、おかまいなしで部屋の中走っていたりね。(笑)

 

ヴァッペが出てくるシーンはちょっと癒されたけど、そっか。犬は、人間の性別とか見た目で態度変えたりしないもんね。

 

 

ちょっと考えたらわかること。

 

人が人を好きになる気持ちは素敵なことだし、その気持ちによって、自分がかっこよくなろうとか綺麗になりたいとか思う気持ちだって、素敵なことだし、そもそも、恋をすることも、結婚することも、悪いことじゃない。個人の自由。

 

だから、「女性になりたい」と思っている「男性」が、女性と結婚していることだって、個人の自由。

 

自分が着たい服を着るのだって、個人の自由。

 

だから、男性のアイナーが、女性ものの下着をつけるのだって、お化粧するのだって、個人の自由。

の、はずなんだけど、これを他人に言ったら、どうなるか。どう思われるか。

 

『リリーのすべて』には、夫を理解しようとするゲルダさんがいる。

 

でも、いまの日本はどうなの? 

ゲイの方がネットで傷つけられたりする。それが現実。

 

別に、他人でもいい。

誰か一人でも、知ろうとしたり、「理解」しようとすれば、世の中、もっと素敵な世の中になると思うんだけどなぁ。