4/27 「忘れちゃったよ、私」 | 想像と好奇心でできている

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野いちごでは、 『テレビの感想文』ときどき更新。

うちのおばあちゃんは90歳を過ぎている。

 

私の声が聞こえなかったり、

同じ話を何回もしたりする。

 

けど、私がパソコンに向かってネットしていたとき、

鶏肉の入った鍋を持ったおばあちゃんが、

「作り方忘れちゃったよ」

と、

鶏肉をケチャップで煮る、わが家の定番料理の作り方がわからなくなったと言ってきたときは、

 

正直、動揺した。

 

ケチャップ入れるんだよ、玉ねぎ入ってるよ、と教えると、

「忘れちゃったよ、私」

そう言ってキッチンに戻っていった。

 

私が表情に動揺を出さないようにしていたことには、気づかなかったらしい。

 

「あした病院行きなよ」

と言ったけど、おそらく行かないだろう。

そういう年齢だから、とかなんとか言って。

 

以前、私が何度もしつこく、病院で認知症のテストしてもらったら、と言ったけど、他人事のように聞いているだけで、病院には行かなかった。

ほかの家族は、私のような危機感はないようで、というより、あまり向き合おうとしない。年齢的にいつかボケるんだから、いまからあれこれ言ってもしょうがないじゃないか、という受け取り方をされ、うっとうしがられてしまったこともある。

それ以来、このことについて自分から話さなくなった気がする。

 

何年か前、認知症になった人と接する機会があった。

その人はずっと歌をうたっていた。民謡のような歌。最後に、同じ単語が出てくる。それを何回も続ける。よくわからない歌。

コミュニケーションは少しだけとれたけど、なにを言っているかはわからなかった。

 

おばあちゃんとはまだ会話ができる。

まだ大丈夫。

 

まだ大丈夫、がずっと続いてくれればいいけど。

 

鶏肉のケチャップ煮はその日の夕飯に出てきた。

特に変わりはなかったけど、少しだけ味が薄かった。

 

おばあちゃん、私まだ鶏肉のケチャップ煮、教えてもらってないんだけどなぁ。