しくじり先生SP | 想像と好奇心でできている

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日々、思ったことを書いてます。
野いちごでは、 『テレビの感想文』ときどき更新。

前半の松村邦弘さんの、デブは「すぐ言い訳する」。

太ってる自分はいろいろと当てはまったので、……少し落ちこみました。苦笑。

 

そして、後半のしくじり先生は、はんにゃ。


 

もう二人とも30代なんですね。

『爆笑レッドシアター』を見ていたときのことを思いだすと、時の流れを感じずにはいられません。

 

ヨシモト∞ホールは、オリエンタルラジオのあと、はんにゃでもっていたんだそうです。

知らなかった。経済効果すごいですね。


 

自分たちはなぜ転落したのか?

 

「大学生レベルなのに、努力しなかった」

「将来への具体的なプランを立てていなかった」

 

では、なぜ戦略を立てなかったのか?

 

「二人ともリアルに馬鹿」 

 

自己分析がはっきりしててわかりやすい。笑

 

だいたいコンビはどちらかが「頭脳担当」で、どちらかが「バカ担当」なんだそうです。

これには芸人さんたちが納得してるように見えました。

 

それを聞いて思ったんですが、「頭脳担当」は「ネタ作り担当」、「バカ担当」は、「ネタ作り担当以外をやる」じゃないかな。

どちらかが「こうしていこう」って決めて、相方に言ってるような印象があります。

 

若林「ボケ・ボケなんだ」

あー確かに。

 

当時、深夜番組『キャンパスナイトフジ』で共演していたオードリーの若林さんによると、

金田「下剋上っすよ!」「時代変えましょうよ!」

「大航海時代の始まりっすよ!と言っていた。

三つめは、『ワンピース』読んで影響受けたから。笑 

 

しかし、自分たちがしくじったことに気づかなかったのは、身近にいた人がしくじっていたから。

それがオリエンタルラジオ。(時期的に、オリラジはレギュラーがなくなって、仕事が激減してたときでしょうね)

オリラジを反面教師にしようと、来た仕事は全部していた。

 

で、一日の仕事が最高で12本(!)、

睡眠時間が1、2時間、休みなしのスケジュールが約2年半あった(!!)。

 

すると、雑誌の取材でいまが現実か夢かわからなくなるなど、明らかに体に支障が。

 

よしもとー、ダメだって。倒れちゃうよ。なんて思っていたら、

金田さんが「倒れました」って。ああ。

結果、

 

「ネタのクオリティーがどんどん下がる」 

「大学生レベルが、小学生レベルに」 

 

評判は下がり、ウケるのは小、中学生。大人は笑わなくなった。

これは芸人として致命的な状況だよな。

 

で、いまはレギュラー0本。

『もしツア』は準レギュラーなので、若手がゲストで来ると冷や冷やする、と。

 

「今までいた大勢のファンが消息不明」

 

あの頃、キャーキャー言ってた、劇場に来ていたたくさんのファンが

金田「神隠しにあった」

これは笑った。

 

はんにゃが劇場やテレビで大人気だった時期は、資料の雑誌の日付を見ると、だいたい2009年ごろ。

 

ふと思いだしたこと。

昔、ヨシモト∞ホールで、アイドルのライブで見かけるような「金田」と名前がついてるうちわを持ってるお客さんを一人、見たことがあります。

はんにゃのファンの方。10代後半、高校生ぐらいの女の子だったな。

後にも先にも、お笑いのライブでうちわを持ってライブを観てるお客さんを見たのは、あの一回だけですね。

 

芸歴6年目にして、お笑いの勉強を始める。

先輩芸人の話を聞いて、「裏で、売れてる人でもこんなに考えてるんだ」と自分たちの努力が足りなかったことを自覚。

 

いままでコントしかしてこなかったのに、漫才に挑戦。

が、THE MANZAIの一回戦で爆スベリ。

ウケなくて動揺したのか、川島さんはネタが終わる前にサンパチマイクにツッコミ入れて、マイクが金田さんに倒れた。

さらにハケる方向がわからなくなって、二人でおたおた。

その再現を見て、生徒の吉村さんと若林さんと澤部さん、大爆笑。笑

 

終わったあと、金田さんはすぐ帰ったけど、

川島「オロナミンC一本飲んで帰りました」 笑 

いや、こういうときって、落ちこむでしょ普通。明るいなー。

 

コンビ仲が冷めていき、会話がなくなり、別々の仕事をするように。

 

いまから4年前ぐらいのこと。

単独ライブの前日、ささいなことでケンカになり、先に帰ってしまった川島さんに怒った金田さんが、

「お前とやっていても何一つ楽しくない」と。

 

そのあと、驚いたけど。

川島さんが32歳のとき、腎臓がんが見つかる。

彼女は妊娠していて、結婚を考えていたときだった。

 

ここで厚生労働省のデータ。

2014年度に死亡した人のうち、がんで亡くなった人は約4人に1人。

 

30代でがん、って、例えば女性だと乳がんがあるし、若い人でもあることですしね。

 

奥様は「赤ちゃんががんを見つけてくれた」と。この言葉に救われた、と川島さん。

 

あと、これはしくじったと川島さんが言ってたのは、

 

「保険に入ってなかった」

 

2015年1月に手術。

初期で見つかって、本当に良かったね。

「がんは、手術して5年経過したら、卒業」だそうです。

 

手術を終え、川島さんを見た金田さんは「安心して笑いが止まらなかった」。

それを見た川島さんも笑い、二人で笑っていた。

 

「コンビ結成当初の気持ちを思いだした」

 

生死にかかわる試練を乗り越えて、考えたこと。


 

「実力は、「失敗」と「悔しさ」と「かっこ悪さ」の連続で磨かれる」

 

<教訓>

「「今」に全身全霊で打ち込む事が「未来」を創る」


 

そんなことがあったんですね。

よしもとさん、売れた芸人さんには、睡眠時間とれるぐらいの休みをちゃんとあげてください。

応援してる芸人さんが急に病気になったら、ファンはすごく心配しますよ。

 

芸人さんが写真集出すなんて、いま、まずないもの。すごい人気があったからこそ、できることですね。

『お笑いポポロ』、見たことあるからわかるけど、

あの頃人気が出た芸人さんは、みんなアーティスト気取りになってもおかしくないような写真を撮られてましたよ。笑

 

最後の二つ、心に響きました。

ああ、この感じは、オリラジが出たとき以来だなぁ。