11月3日 斜本~しゃほん~ その3 | 想像と好奇心でできている

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野いちごでは、 『テレビの感想文』ときどき更新。

その2の続き。

 

なんで神保町花月の舞台って、「これすごく良かった」って思ったとき、帰りの電車で観たばっかりの記憶が薄れるの速くなるんだろう。神保町からの帰りは、記憶がなくなるスピードが速いような。

どういうことかわからない。謎の現象。

だからあとで思いだして、ブログに感想書くとき困るんだよなー。

 

「斜本」も、またそうなったので、慌ててメモしたよ。

おそらく、観終わった感想が頭に出てきて、それが舞台の記憶を押し出すんでしょうね。あーなんて厄介な。


 

ここからは、個人的なメモ書き。ケータイ小説の参考に。

 

初ランパンプスは、神保町花月。

 

いや、正確には、初ではない。

寺内さんはもう舞台に立ってるところを観てるんですけど、「え、いたっけ?」となってしまった。

 

そのときはランパンプスを知らなかったし、当時はヨシモト∞ホールに行かなくなって、いま出てる芸人さんなんてほとんど知らない、って状態。そのなかにランパンプスもいた。

 

だから、意識して(寺内さんを)観てなかった。

当然、脇役の一人として観劇してるので、記憶にも残りにくくなる。(このとき思った。記憶と、意識してものを見る、って密接につながってるんだなーと)

でも思い出してみたら、「あ、一人、声が大きくて、声に印象ある人いたなー……。『時代に流されろ!』って言った人……」。

タイトルをセリフで言う役だったこともあって、ほんのちょっとだけでしたが、思いだせました。「あれ、寺内さんだったんだ」って。

 

お二人とも、演技がうまい。どうなのかなーって気になってたので。

漫才師で演技上手といえば、私的にはブロードキャスト!! だったのに。


 

気になった登場人物。

 

おさむ(ランパンプス小林さん)

家は商店街の本屋。でもお客さんが来ない。

それなのにギャンブルばかりしてる。

5年ぶりのフェアは「イスラム教フェア」で、「攻めすぎたかな……」とつぶやく父親。

 

移転の話を持ち掛けた担当者(ランパンプス寺内さん)といっしょに居間にいるところを「不倫?」と訊かれ、「そうよー」と笑顔で返す、キレるとすごく怖くてお父さんに土下座をさせ続けた短気な一面もある母親。

 

妄想する父、キレると怖い二重人格の母、といった両親の性格の一部を受け継いだ。笑 

 

中学生で思春期の少年。

いじめっ子グループの女子と二人っきりになったとき、自分の手をつかまれて、胸を触らされて、女子がいなくなったそのあと、戻ってきた友達(ピクニックさん)の前で、さりげなく自分の手のにおいをかいでいた。これが本当に、すごく自然な動きだった。笑

小林さんのかわいらしさによってなくなったのか、これが、普通なら変態でしかない 笑 行動なのに、まったく変態だと思わなかった。

漫才で「かわいいよっちゃんと」と寺内さんがネタの前に言う、あれが刷り込みになったのかも。

 

20代後半で、中学生の制服(白いシャツと黒いズボン)が似合う芸人さん。

あと、ピクニックさんもまだ大丈夫そうです。

 

主人公は本屋の店主、彼の父親。

少年は、出演時間は長いけど、全体的に見ると、裏主人公、二番目の主人公というような感じ。

ただ、個人的にはランパンプスのファンでもあるので、主人公のように観てしまった部分があったのは否定できない。

 

 

なおじ(シューレスジョーさん)

最初から(開演時間の5分ぐらい前から、舞台にいた。レジで、競馬新聞読んでました。様になってたなぁ)舞台に出ていた。

ポスターに出ていたのは小林さん一人だけだったけど、主人公はこのお父さんだと思う。

 

放火は悪いことだし、家族に対してもひどいことをしてるんですよ。でも、考えた結果、それが正しいと思ってしまったもかもしれない。

妻と息子相手に、ショッピングモール建設地に放火したことを言い、そのわけは、「邪魔だったからだよ」とさらっと言った。

あの言い方。シューレスジョーさんじゃないとできない気がする。

 

ところで、ふと思ったんですが、本屋の名前って出てきたっけ? あれ、一切出てきてないような。

本屋にお客さんとして来たのは、オープニング映像の前に来た女子一人だけ。

移転の話がなかったとしても、話の最後のあれが起きなかったとしても、経営は赤字続きでいずれは……、ってことになってそう。

 

開演前、まだ暗い舞台の後ろに、淡いオレンジ色のななめの窓の形をした光が映っていた。

あの窓の形の光は、これから倒れていく本屋を暗示していたのかもなー。始まる前から、なんとなく、登場人物にとって良くない展開が待っていそうな雰囲気があった。

 


 

自分なりにテーマを考えると。

 

「妄想」と「現実」、それによって生まれる? 「狂気」の結果。

 

まだ、少年は普段のいじめによるストレスを解消する程度で、見ていて笑えるような妄想が繰り広げられる。劇中劇、ならぬ、劇中ショートコントのような。

中学生男子たちの会話に出てくる妄想の話で「妄想って誰でもするし、別に悪いことじゃないよね」と思う。思わされる。しかしその後、最後に待っているのは、少年の父親が起こしてしまった、現実の事件。

 

『山月記』の虎になったかのような、自分がしなければいけない使命感や正義感のようなものにかられたのか。妄想は関係あったのか、なかったのか。

そこははっきりとした答えが出ていない。あえて、出さないんでしょう。観た人に考えてもらうために。

 

一方、ショッピングモールの担当者は、完全に「現実」の人。

地道に商店街の人たちに話しかけ、「ここのエクレアはおいしいですよね」なんて、おそらくエクレア買って食べたんだろうなぁと想像したくなるほど、対応もていねいで、一人で頑張ってます。

ですが、移転の話を白紙にすると言われたりと、辛い思いをします。

最後のほうで、精神的にかなり追いつめられた状態に。煙を浴びたようなすすけた汚れが顔についてて、かなり疲れた顔で、「もうなにが正しいのかわからないんですよ!」と。(実は、少年の父親がショッピングモールに放火してるところを見てしまったから、顔が汚れてた)

少年の父親と母親の家で、助けられるような形に。

 

少年役のランパンプス小林さんの相方、寺内さんがこの役っていうのも、対照的で、もしかして意図的?

「妄想」する人が、「現実」だけで生きてる人を助ける、っていう、おもしろい構図にもなってる。

「現実」が辛かったら、「妄想」で気持ちをまぎらわせてもいいじゃないですか、ってことかな。

 

少年は、「現実」に起きたことで、「興奮してきた」と、自分の心にわきあがってきた感情に自分でも不思議そうな顔でそう言って、終演。

その後、少年は「妄想」をやめることができたのか? 

現実で、妄想しなくてもドキドキするようになったのなら、少年は父親のようになったりはしないんでしょうけど……。楽しいこと、嬉しいことだったらまだ良かったけど、その逆、しかも、これから大きく環境が変わるような出来事だったから。

これから彼はどうなるか。

 

彼は、「現実」の世界で、「妄想」なしでも大丈夫なのか。

あまり良くなさそうな未来が待っているんじゃないか、と深読みしてしまいます。

あのブラックな終わり方、続きを考えてしまったよ。観てる人の気持ちをぶった切って、気持ちを延長させてしまうストーリー展開。喜劇から、ラストで一気に急降下する、すごいシンデレラ曲線。

 

やしろ劇団、解散。この顔ぶれはもうそろわないのかな。

ランパンプスを劇場で観たのが、ライブじゃなくて舞台、∞ホールじゃなくて神保町花月になった、というのは予想外だった。

 

本が好きで、読書が好きで、この世界の設定は好き。

登場人物にも、感情移入できたし、妄想のシーンもおもしろくて笑えた。

でもだからこそ、ストーリーの意外な展開と、最後と、続きが気になる終わり方に驚いて、「うわぁ……」ってなってる状態で暗転して終わりました。