共に23歳で縁があり結婚式を挙げ、以来片時も離れず暮らして来ました

いろんな思い出が今、走馬灯の様に頭の中で思い浮かびます

 

令和4年秋に陽性大腸ポリープを切除し医師もこれでご心配はありませんと説明してくれた

紹介状を出した個人医者がその後、腫瘍マーカーが少し高めなので再検査を勧められ設備の整った病院で大腸を精密検査し、腸の憩室部分が排出物が溜まり易い傾向で通過する場所も細いと告げられました

CT画像で精密検査した処、膵臓末尾癌の疑いが非常に大きいですと宣告されてしまった妻です

「先生、私の余命は何年ですか?」と冗談半分な表情で聞く愛妻でした

返った言葉は、このまま何もしない状態ですと余命四カ月です と宣告されてしまった私たち夫婦

呆気にとられる妻 噓でしょ先生とまで言っていた

至って、頗る元気で何ら自覚症状も無い妻だったのです

狐に包まれた気分だった

 

帰りの車中で妻にどうするんだと尋ねると私、死にたくなんかないから治療をするわと言う妻

そうだな二人で頑張って治療しような 私も同意して家路に向かいました

 

抗がん剤治療開始後は常に食欲不振吐き気だるさ手足の痺れ発熱下痢と遠慮なく妻を襲う薬の悪影響でした

それでも元来明るく我慢強い妻は一生懸命身体と向き合い私と生活を共にしてきた

 

令和5年は治療に専念しながら家事炊事洗濯などは全部私が受け持ち妻には居間でTVでも見てなと熟していました

体調の良い日は天気を観ながらドライブもかなり行って来た

ソフトクリームを舐めさせ食事も一緒に食べ美味しかったぁと言ってくれてた妻

治療に専念しているのに明るく接してくれてました

春と秋は風景写真を撮影しながら脇に妻を傍において眺めて楽しみもしました

 

抗がん剤が良い細胞まで破壊し、挙句には癌の付きものの血栓を常に主治医は気に掛けてた

ステントが腸内にあるため炎症が起きそこから出血する恐れがある為なかなかぺパリン血液サラサラの薬剤も打てなかったんだろう

1月17日とうとう血栓が脳に上がってしまい左脳梗塞に陥った妻

その朝私は台所で朝食の準備をし、妻に声を掛けもう少し寝てなよと話し掛けて妻もわかったぁありがとね と話していた

 

居間に戻るとベッドから起き上がってストマー口を開いて排出物が床に零れ落ちてる状態だった

人間、己の身体の異変が起きた瞬間に自然と無意識に関係の無い所を確認の意味で触ったり弄ったりするものです

何だどうしたんだと声を掛けたら妻は何か変なんだよとだけ言い急いで汚れを拭き上げてやり着替えもしてやった頃から妻は意識が遠のき始めていた

大丈夫かと話し掛けたが妻は返事が呂律が回らぬ状態で、私は呂律が回ってないぞと言うと妻も呂律回ってないよね

これが妻の発した最後の声でした

救急車で搬送し待合室で待機してたが、すぐに呼ばれ医師の説明を聞いたが脳梗塞の疑いが甚大です

病室に移動しますと告げられそこから妻は一か月本当に頑張ってくれた

毎日朝夕病院の時間制限を無視して私は常の傍に居ました

その間、介護のすべても覚え医師の今後の生活計画なども話し合い準備万端の態勢でした

 

でも体内の癌細胞はどんどん転移を起こし退院当日夕方に緊急状態になってしまい又、病院に逆戻りだった

これ以上妻に苦しい思いはさせられないと考え救急担当医師にモルヒネ投与を願い受け入れられ投与開始した

翌日病室に行くと妻は片目を開け酸素マスクをさせられ呼吸も浅く血圧も66-47程度でした

必死に声を掛ける私と子供達でしたが反応は無く、とうとう2月12日午後14時40分 私が愛する妻は天に召されてしまったのです

 

1年5カ月  とても短い残りの人生だった妻

あれほど可愛く愛らしく素直で明るい前向きな彼女でした

他人様の悪口など一切口にしない理想の女性でした

書き始めると永遠に続きそうな妻との私生活    

毎日どうしたらいいのか仏前と話し合う私です