この国の精神  ウクライナと武士道(1) | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

この国の精神  ウクライナと武士道(1)

秋 隆三

 

<ウクライナ戦争>

 

  ウクライナで戦争が始まった。内戦状態は2014年から続いていた。隣のジョージア(グルジア)では、2008年に南オセチア紛争が起こり、現在はロシアと断交している。

  ウクライナ軍も頑張っているようだが、そう長くは持ちそうにない。NATO軍は、一切関与していない。

 

  欧米の報道は、民主主義のゼレンスキーと専制主義のプーチンとの戦いと言っている。米国の大統領選挙ではないが、日本も含めメジャー報道などは、90%信用できない。武力侵攻に違いはないし、武力行使したプーチンは非難されるべきである。それならば、第二次世界大戦以後の欧米諸国の武力侵攻は、本当に正しかったのか。問い直されなければならない課題は、欧米にも多々あるのだ。

 

  ところで、ウクライナとロシアの関係史は、これまで聞いたこともないので、Wikipediaを元に少し調べて勉強した。

  ウクライナと言えば、有名なコサックである。コサックの起源はあまりわかってはいないが、山賊や盗賊の集団であったらしい。ドニエプル川の中流域であるザポロージャに根拠地を置いている。ザポロージャは、原子力発電所の襲撃で有名になった場所であり、コサックの発祥地と言ってもよい。ただ、コサックには二つの勢力、ザポロージャ・コサックとドン・コサックがあったらしい。両方ともロシアと敵対し、18世紀には滅亡寸前にまでロシアにやられているが、19世紀には軍人としての階級を帝政ロシアから与えられ、ロシアの国境警備や治安維持のために働いている。早い話が、帝政ロシアの傭兵として編入されたのである。コサックの民謡と言えば、有名なのがステンカ・ラージンであろう。

 

  日露戦争では、日本はこのコサック軍団と戦っている。

  

  しかし、1919年のロシア革命により誕生したレーニン政権は、コサックを敵視しコサック人口440万人のうち308万人を虐殺した。さらに、1933年からはスターリンによる飢餓ジェノサイド(ホロドモール、影響はウクライナだけではなくソ連圏全体に及んだらしい)の対象となり、ウクライナ全体で400万人以上1000万人が死に、この時残っていた大多数のコサックが死んだ。生き残ったコサックはドイツ等に逃れナチスドイツに協力し、ドイツ国防軍の一部となっている。1941年の独ソ戦では、ナチスドイツ軍と同盟していたルーマニア軍によって有名なオデッサの虐殺が発生している。おそらく、コサックの残党が多かったのではないかと推察される。コサック民族からみれば、ソ連から移入して住み着いたソ連人は、憎き仇である。しかし、キエフ大公国以来の歴史をみれば、ウクライナはロシアそのものであると言って良いかもしれない。

ソ連の崩壊以後、市民団体によるコサックの復帰運動が起こっているが、ロシアでコサックと名乗っている人の多くは、プーチンの熱烈な支持者である。プーチンが企んだ傭兵軍団であるかもしれない。

  2014年に起きたオデッサの悲劇は、ネオナチによるものと言われているが未だ真相は不明である。いずれにしても、親ロシア派と親欧米派の抗争であり、2004年のオレンジ革命、2014年のウクライナ革命と続く抗争の結果が、今起きているロシアの武力侵攻であることは間違いない。

  

  アメリカからの関与は、ジョージ・ソロス、マケイン、オバマ、バイデン等である。

  

  それにしても、ウクライナ国民というのは一体全体、ロシアと欧米のどちらを志向しているのか全くわからない。まあ、ウクライナだけではなく東京都民の知事選挙でも同じようなものだが。生活が良くなりさえすればどちらでもいいのである。国民の伝統的精神の徹底的破壊、民族融和等によりアイデンティティを喪失した国家というものが国家の体をなすためには、生みの苦しみが必要であることは歴史が示している。ソ連崩壊後、自らの歴史と伝統を冷徹にかつ精緻に分析することなく、経済成長や富を渇望した結果が現在であり、プーチンであった。他人事ではすまされない。日本の戦後から現在に至る過程もほぼ同様のものなのだから。

 

  ゼレンスキーは、ユダヤ人と言ってもいいのだが、ネオナチと密接につながっているらしい。ウクライナのオリガルヒにはユダヤ人も多いが、反ロシアとしてネオナチと手を結ぶ等は、通常の精神では考えられない。ここに何かがありそうである。ウクライナのオリガルヒにユダヤ人のイーホル・コロモイスキーという男がいる。ネオナチのオーナーとも言える男であり、2014年にドニプロペトロウシク州(ウクライナ)東部の知事に任命され、独自の軍隊(アゾフ、ネオナチ武装組織)を持っている。この武装組織が、2014年以来、東部のロシア人を虐殺している。ゼレンスキーは、コロモイスキーと密接に関連していると言われている。ロシア・ウクライナのユダヤオリガルヒは、ヨーロッパのグローバル化、ボーダーレス思想を推進する

金融資本勢力の一部だと考えるのがどうやら妥当なところらしい。

 

  この戦争は、行き着くところまで行くしか解決の方法はなさそうである。極右思想のゼレンスキーが欧米風の民主主義国家を建設するとは到底考えられない。プーチンも国際世論と経済制裁でつぶされるだろう。誰が得をするかと言えば、バイデンとマクロンと、欧米金融資本勢力かもしれない。

 

  ゼレンスキーが、何としても国を守ると叫んでいるのをみていると、思わず、吉田松陰が処刑前夜に詠じた歌を思い出した。

 

  かくすればかくなるものと知りながら

    やむにやまれぬ大和魂

 

  ウクライナ国民に、「大和魂」と呼べるような、歴史と伝統に裏打ちされた国民的精神が果たしてあるであろうか。明治維新を主導した者の多くは、下層の武士達であった。ソ連崩壊後、ウクライナを主導しているのは、ソ連崩壊に乗じて金を儲けた成金達である。この国に精神は存在しない。自立した国家は、自律した国民の精神によって維持される。法を守るという当たり前の精神ではない。歴史と伝統によって形成された徳治の精神である。この視点でみれば、プーチンの路線は、一つの国家を形成するという点で正しかった。20年かけて、可能な限り国産化を進め、天然資源に対する外国資本の介入を制限し、石油・ガスの輸出価格の制限価格以上の売上分を国庫に入れる等は、善政である。

 

  それにしてもだ、ウクライナからの報道、欧米主要メデイアの報道は、何かおかしい。

 

  コロナのニュースなどはどこかへ飛んでいってしまった。コロナも誰か企んだ奴がいるのかもしれない。中国か、欧米か、それともグローバル化を狙うどこかの集団か。

  気候変動もどこへいったのやら。アメリカは、シェールガスやオイルの増産の計画さえ示さない。あれほど非難していたベネズエラと交渉するのだそうだ。EUのエネルギーはどうするのだ。ドイツは、石炭火力の再開だそうだ。欧米先進国のリーダーは、どこか狂っていると思うのは私一人だろうか。無差別攻撃を繰り返す戦争犯罪人を擁護するのかとしかられそうだが。「堕落論2017」でも書いたように、第二次世界大戦以後、無差別攻撃は、戦争の常套手段であり、常識である。だからこそ、今回のプーチンのウクライナ侵攻は非難されるべきであるし、機会があれば責任をとらせる必要がある。勝てる見込みのない戦争を鼓舞するゼレンスキー、そのゼレンスキーに喝采を送る欧米の政治的リーダー(日本もだが)、そしてそれを煽るメディアの危うさというものを今回は痛感させられた。第二次世界大戦時の日本のように、一億玉砕を叫んだリーダー、メディアのプロバガンダと何も変わりがないではないか。

 

  日本は、第二次世界大戦におけるABCD包囲網、真珠湾奇襲攻撃、被爆、敗戦を経験した世界でも唯一の国家である。プーチンやゼレンスキーと本音で話ができる世界で唯一の国家であり、日本には歴史的にその資格がある。欧米と同調するだけではなく、プーチンとの接触を試みよ。「安部」さん。首相時代の失敗を取り戻す唯一のチャンスではないか。あなたならできそうだ。

 

 

<新渡戸稲造>

 

  ウクライナの歴史を長々と書いてきたが、わが国の国民的精神とも呼べるものに今回のテーマの「武士道」がある。

 

  安岡正篤は、山鹿素行の「士道」を日本の精神として取り上げた。「武士道」を世界に知らしめたのは、新渡戸稲造の「武士道」を英語版で出版したことである。明治32年、新渡戸稲造38歳の時にアメリカで出版された。日清戦争の4年後、日露戦争の5年前のことであり、安岡正篤が「日本精神の研究」を出版する遙か前のことである。

 

  この「武士道」という書は、実に読みにくい。解説によれば、カーライルの論文スタイルの影響を強く受けているためとしているが、以前にも書いたように、18世紀~19世紀の欧米人文系論文は、こういった論文様式でなければ認められなかった(引用を多用し、比較論究する)。

  トーマス・カーライルは、「衣服の哲学」で有名である。制度や道徳などは、物事の本質に衣装を付けたようなものでその時代の一時的なものだという論点を哲学したものである。「この国民にしてこの政府あり」は、カーライルの最も有名な言葉であるが、これにも虎の巻があったようである。この言葉は、そっくりそのままロシアとウクライナに送ってやりたいものだ。

 

  さてこの新渡戸稲造の「武士道」であるが、結論から言えばとても名著とは言いがたい。あちらこちらに、理解不足やら間違いがある。それだけならば、まあ仕方がないかですむが、儒教、宋学、陽明学の本質、神道・日本仏教などの一般的解釈・理解が混在しながら武士道を説明する。まさにカーライル流の表面的現象を西欧文化・宗教と対比し、「同じ」ではないかと論じるところ等は、読みにくいを通り越している。さらに、テーマによっては何を言いたいのかがぼけている部分も少なくない。

  浅学非才の徒が、大先達に対して批判等はまことに烏滸がましいことではあるが、言論は批判の上に成り立っていると信じる。

  新渡戸稲造の知識の源泉をみる必要がありそうだ。

  新渡戸稲造は、1862年岩手県盛岡市で盛岡藩士の三男として生まれ、15歳で札幌農学校に二期生として入学している。武士の子であるが、幕末は幼児期にあり、思春期は明治初期の動乱期であるので、武士道を体感するまでには至っていないと推測される。札幌農学校時代にキリスト教に入信している。同期には内村鑑三らがいる。この札幌農学校、つまり北海道大学の卒業生のうちキリスト教信者の占める比率は極めて高い。現在はわからないが、昭和40年代前半までの卒業生にもかなりの割合でキリスト教入信者がいると思われる。一方で、全共闘、それもかなり過激な学生運動家も多かった。

  

  新渡戸は武士の家に生まれているので、多分、四書の素読ぐらいは幼い頃からやっていたと思われるが、13歳で東京英語学校に入学しているので、儒学、国学、古学といった学問への造詣はそれほど多くはなかったと思われる。さらに、15歳で札幌農学校、キリスト教入信なので、なおさらのことであろう。その後、自費で米国留学(かなり裕福だったのかもしれない)、官費でドイツ留学し農業経済学で博士号を取得している。米国留学中にクエーカー会員となっていることから、プロテスタント系クエーカー教徒である。ドイツの留学先もルターにゆかりのある大学であった。新渡戸のこういった経歴をみると、キリスト教道徳倫理学、それもかなり宗教的(霊的)色彩の強い教養が元になっていると思われる。クエーカーというのは、地震(アースクエーク)のクエークに由来しているようで、宗教的陶酔状態になると体を震わすことから呼ばれたらしい。クエーカーの特徴は、内なる声(光・神)を聞くことである。どうも、この当りの概念と武士道の中心をなす儒教の真理とは同じではないかと新渡戸が考えた節がある。

 

  新渡戸は、義、勇、仁、礼、誠といった儒教の徳目を挙げて、武士道を説明する。山鹿素行の「士道論」は、如何に人は本性の欲望に立ち向かうべきかを説いたものである。例えば、孟子の「浩然の気」、「義利」(義とは内に省みて羞恥するところあり・・・・道に外れていないかということ。事に処して後自ら慊(あきた)ること・・・・・行動したことに十分満足していること。これらを義と言う。つまり、欲求の正統なることである)等々を挙げている。安岡正篤は、高橋泥舟を取り上げて、「行蔵」(ゆくかかくるか)を厳しく言う武士道精神を尊いとしている。行蔵は、論語の述而第七に登場する。出処進退の潔さを説明したものであるが、この部分の後半部とのつながりがわからないところなのだが。

  羞恥が出てきたが、新渡戸の「武士道」では、名誉欲に対して羞恥心を説明する。論語では、羞恥は内面に照らして生じる感情である。外的規範に外れていることから生じるものではない。この外的規範から外れている感情は罪悪感であるが、罪悪感について論語は何も触れていない。

 

  以上のように、新渡戸稲造の「武士道」が、その思想的究明において問題が多い。しかし、明治維新から僅か30年しか経っていない時代にあって、日本人の精神性が、西欧人のそれに比べて劣ったものではないということを欧米にPR説明する点において着眼点が秀逸であったことは確かである。

 

(次回に続く)                      

2022/03/17