堕落論2017 戦争の危機 戦争という堕落 | 秋 隆三のブログ

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昭和21年 坂口安吾は戦後荒廃のなかで「堕落論」を発表した。混沌とした世情に堕落を見、堕落から人が再生する様を予感した。現代人の思想、精神とは何か。これまで営々と築いてきた思想、精神を振り返りながら考える。

                                           堕落論2017 戦争の危機


                                                                                                        秋  隆三

  坂口安吾が「堕落論」を発表したのは、昭和21年(1946年)4月である。戦争終結から八ヶ月、戦災の跡が生々しく、先のことなどは到底見えず、しかし戦争から解放されたという実感だけが国民に浸透していった。この年の12月には「続堕落論」が発表されている。
  論文でもなく、小説でもなく、かといって随筆と呼ぶには強烈な文体である。タイトルを見るとなにやら破滅的な思想書かと思うがそうではない。現人神がおわします神の国、神風が吹く神々しき国が一敗地に塗れ、今や、花と散り損なった若者達が闇屋となり、ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりてとけなげな心情で男を送った女達も、やがて新たな面影を胸に宿す世相へと変わった。人々が営々と作りあげてきたものが崩れ落ちる様のはかなさ、みにくさに対する叫びである。

  今、この時間も世界のどこかで戦争をしている。日本人のおおかたは、「戦争してるんだ」、「どうして戦争するんだろうね」、程度の認識だろう。
  ところで、私も含めた現代の日本人は、「戦争」について考えたこともないと思われる。毎年、8月になると、報道番組の主要なテーマは、第二次世界大戦一色となる。第二次世界大戦当時のニュース・フィルムの再編集か、僅かに生き残っている戦争体験者の体験番組が大半である。これらの報道内容の意味するところは、端的に言えば、戦争は悲惨なものであり、戦争をしてはならないという教訓である。とかく教訓というものは、まわりくどい。一方、第二次世界大戦がどのようにして引き起こされたかについては、ほとんど何も報道されない。そこで、開戦に至る原因のいくつかをひろってみると次のようなものである。
 「満州国(中国東北部)開国に対する中国の反発に対し、国連は、一度は対日経済制裁を黙殺したものの、盧溝橋事件以後日中事変の勃発によりアメリカを中心とする経済制裁の主張が本格化した。いわゆるABCD包囲網が張られ、その頂点に達したのが昭和16年の日本に対する資産凍結と石油の禁輸であった。現代の北朝鮮やイランに対する制裁手法とさほど変わりはなく、経済封鎖である。満州には石油はなく、石油資本は、アメリカ、イギリス、オランダが独占していた。若干の鉱物資源は満州で調達可能としても、火薬の原料となる硝石等はベトナムから輸入しなくてはならない。しかしベトナムはフランスの植民地だ。インドを始め東南アジア諸国は、欧米の植民地であった。中近東は、欧米諸国、欧米石油資本、王族とによる石油独占の独裁的国家である。日本は、我慢に我慢を重ねた結果、太平洋戦争の開戦を決意した」。説明不足の点はあるが、経済制裁による資源窮乏に対して堪忍袋の緒が切れたという説明である。

 1970年代に任侠映画が大ヒットした。高倉健主演の網走番外地は、70年安保時代の象徴的映画であった。健さんは、罪を犯しはしたが、それにはやむ得ない理由があった。彼は常に謙虚で、物事を深く考え、感情には流されず、しかし人情味あふれた人物である。彼が属する真面目な集団の権益を狙う悪者達が、ああでもないこうでもないと難癖をつけては執拗に妨害し、暴力を加える。忍耐に忍耐を重ねた結果、健さんは一人敵に立ち向かうのである。話は、単純だが物語の筋立ては、第二次世界大戦のそれとそっくりである。一人で戦うならば、まあ好きにやれでよいが、国民を巻き添えにするとなるとそうはいかない。日本は、資源がなく、国民の生活も困窮の極みに達し、生き抜くためにアメリカと戦うというのである。本当か。本当に、全ての国民が食うに食えなくなっていたのか。そんな馬鹿なはずはない。そんな単純な理由ではないはずだ。
 先の大戦は、日清・日露戦争での勝利、第一次世界大戦における漁夫の利、欧米先進国のアジア植民地化と富国強兵等々、明治維新から第二次世界大戦までの「成功の70年間」に徐々に蓄積された奢りが生み出した日本という国家の堕落によるものだ。坂口安吾は、終戦に人間の堕落をみたが、国家の堕落ははるか昔に始まっていた。
 ところで話はそれるが、テレビに氾濫している韓ドラを見ると、悪人と善人との関係が単純な論理構造になっていないのに気が付く。悪人が、嘘をつき、人をだまし、相手を殺すのにはそれなりの理由がある。悪人の行為には、悪人なりの正当な理由があってのことだと言う。その理由は、悪人の地位を脅かしたり、悪人の昇進を妨害するのは善人がいることである。善人さえいなければ悪人は幸せになれるのである。悪人は善人に比べて自己実現の欲望が強いだけで、だましたり、嘘をついたり、暴力といった行為は、悪人にとっては許容範囲なのである。この論理においては、自己実現の欲望が強いことは悪ではない。人間として当然であり、そういう欲求は正当なのである。韓ドラでは、悪人の善人に対するいじめが尋常ではない。反対に、いじめられる善人は、実に真面目だ。決して悪いことはしない。耐えるのである。そして、反論できない証拠をつかんでから、じっくりと反撃にでる。
 お国柄が違うと、善と悪、正義に対する考え方がこうも違うのかと考えさせられる。とはいっても、5分で済む内容を1時間もだらだらと続くのにはうんざりするが、耐えに耐えて善人が反撃に出るという筋書きには不思議な魅力がある。成り行きはわかっていても、反撃にでるものに対する同情と反撃の快感がたまらないのである。
  堪忍袋の緒が切れて開戦に踏み切るにしても、このような経済的理由以外の理由もある。それは、「恐怖」である。敵の軍事力が増強しており、これ以上軍事力が増すと危険にさらされるという恐怖だ。政治手法の根幹は、「国民」に対する脅迫にある。今、これをやらなければ将来国民はこれだけの損失を被ると脅迫する。河川改修等の国土保全に関わる公共工事の必要性に対する説明であれば、一定程度は受け入れられるが、戦争となれば話は別だ。「気候変動」も話は別だ。二酸化炭素濃度が、ppm単位で増加した場合の気候変動を実験レベルで証明しない限り信用できない。今の説明では、将来の海面上昇は必死である。それならば、何故、都市の高所移転を進めないのか。恐怖政治は、ここにも存在する。

 9.11以後、ブッシュがはじめたイラク戦争の大義は、建前は、「大量破壊兵器は持たせない」というものだったが、本音は、「やられたらやる」というものだ。その上、おりからの石油資源問題もあった。人類の歴史は、戦争の歴史である。塩野七生の「ローマ人の物語」は、全編、戦争、戦争、また戦争である。ローマの歴史書は戦史だ。それも何故戦争をしなければならなかったかは、勝った側が記録しているから、負けた側の理屈はわからない。
 なにはともあれ、戦争が始まったら、戦争を始める理由などは二の次、三の次、まあどうでもいいのである。勝たなければ歴史にその正義を残せない。
 第二次世界大戦は、我慢に我慢の末にやむなく始めたが、負けることはわかっていたというのである。戦争を始めるからには勝たなければならないが、負けるときも重要だと言うのだ。それは如何にうまく負けるかだというのである。これはどうなっているのだ。これでは国民は、たまったものではない。戦争を始める政治家、官僚、高級軍人は、将棋や碁のようなゲーム感覚で戦争を仕掛けたというのか。最近なら、スマホの戦争ゲームみたいなものだ。命を賭けた戦争では、負け方も何もあったものではない。小国民は、黙って国の言うとおりにすれば良い。批判でもしようものなら非国民である。欲しがりません勝つまでは、生めよ増やせよ、が国民の義務である。このモットーはドイツからの借りものらしい。国の責務は、負けることはわかっているからうまく負けることである。あまりにも都合が良すぎないか。おまけに、奇襲攻撃で開戦するのだから、天皇、政府関係者、軍人以外の国民にとっては寝耳に水の話だ。勿論、うすうすは知っていたか、戦争を始めるらしいとか何とかの噂は飛び交っていたに違いないが。
 しかし、一旦、戦争を始めたらやめることは不可能だ。相手がいるのだから、こちらが思っているようにはやめられない。それどころか、戦争を止める法律、制度、システムというものは何もないのである。勿論、戦争を始める法律もない。
 さて、我慢に我慢を重ね、戦争に踏み切るという決断が、国の指導層だけで勝手にできるのであろうか。限定的にしろ民主的国家において国家間の開戦は、それほど単純ではないはずである。。
 開戦を正当化する思想、倫理・道徳、法は戦争開始と同時に形成されるものではない。まあ、一部にはそういうものもあるだろうが、政治思想というものは、多くの場合、時間をかけて、それもかなり長い時間をかけて、権力層、知識層、国民各層の間を何度も行き来しながらゆっくりと形成される。近代戦争における大義・思想の形成とはこういうものだ。第二次世界大戦に至る思想では、東亜新秩序、八紘一宇、五族協和等々があるが、よくもこれだけ考えたものだ。当時の官僚と御用学者によるものと思われる。このくそ真面目な作品が国民を戦争へとかきたてた根源である。

  「堕落論」の冒頭は、「半年のうちに世相は変わった。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は、大君のへにこそ死なめかえりみはせじ」である。言葉の調子というものは、人の感情に直接響く。しかし、意味がわからなくては響きようがない。「醜」とは、みにくいのではなく、「強く頑丈」なという意味だ。
 「海行かば」という曲がある。昭和十二年に作曲され、戦争中は盛んに歌われていたが、戦後は全く歌われなくなった。次のような歌詞であり、万葉集(元は日本書紀らしい)からとられた。「天皇の足下に死ねれば本望だ。後悔はない」といったような意味である。天皇に忠誠を誓った歌とされている。

海行かば 水漬(みづ)く屍
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

  音域はやや高いが、格調高い斉唱である。旋律は、日本人の心性に直接響く。こういう曲はどこの国にも一曲や二曲はある。第二の国歌だ。「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」という曲がある。「ナブッコ」というオペラの中で歌われる合唱曲だが、イタリアの第二国家である。しかし、それにしてもこの「海ゆかば」は、恐るべき歌詞である。死をもって天皇に忠誠を誓うという歌を国民に唄わせるという政府も政府だが、この歌を選んだ官僚の神経とは何なのだ。こんな国は、世界のどこにもあるまい。軍部の独走が開戦の要因だったという話がまことしやかに言われるが、そんなに単純な話ではない。時代の支配層、権力層、知識層、富裕層のほとんど全てが関係していたことは間違いない。
 言葉に楽曲が加わることで、思想にぬきさしならぬ心情的重みが加わる。国家指導層・政府は、戦争を始めるためにありとあらゆる手立てを講じる。これは戦争だけではない。戦後復興から高度経済成長へと進む時代も似たようなものだ。ちなみにこの時代の第二の国家は、昭和の歌謡曲だろう。戦前から唄われていた「影を慕いて」、「誰か故郷を思わざる」ばかりか、軍歌も盛んに歌われた。しかし、「海行かば」は、全くといって良いほど歌われていない。「リンゴの歌」、「港町十三番地」、「有楽町で会いましょう」、「銀座の恋の物語」、「函館のひと」、膨大な第二国家が誕生した。

 日本は、戦争に負けた。それも惨敗どころではない。無条件降伏である。政府が考えていたうまい負け方はどこにいったのだ。全ての、秩序、思想が崩壊した。敗戦直後の社会は、どのようなものだったのだろうか。闇市、売春などは小説・映画の題材で知られているが、社会秩序について記述した文献が皆無というのも不思議である。米国占領軍がもっとも恐れたのは、無法状態と化した日本への上陸であったという。しかし、上陸してみると何とも整然としていたというか無法地帯をとおりこして無条件従順社会へと変貌していた。終戦直後に占領軍が車で移動している記録映画を観ると、日本軍と思われる軍人が、道路側とは反対方向を向いて整然と立ち並び、あたかも占領軍の移動を護衛しているような映像が映し出されていた。こんな敗戦国は、世界のどこを探してもない。ちなみに、ドイツの終戦状況をみると、連合軍がじわじわと首都ベルリンに向けて侵攻し、ベルリンが陥落したときには、ドイツ国土のほぼ全域が連合軍に占領されていた。
  日本は、本土決戦を予想して武器の準備をしていたというから、無条件降伏だからといっておいそれと上陸できるわけがない。アメリカはゲリラ戦を覚悟していただろう。しかし、日本は何の抵抗もしなかった。勿論、全くなかったわけではないと思うが、ほとんど無視できるほどの抵抗だったに違いない。抵抗よりも従順解放を選択した。このまま進めば死ぬ、個人では選択できない運命、完全な強制から逃れられないという極限的状況からの解放である。体験したものでなくては知り得ない感覚であろう。戦争に負けた側の開放感は、勝った側の開放感の数倍も大きいに違いない。負ける側は、突如として負けるのではなく、負けそうだ、もう駄目だ、限界だと思いながら戦っているのだから、負けた、すべてを失ったとなった瞬間に、何とも言えぬ虚脱感と開放感に襲われる。何のために飢えや耐乏生活に耐えてきたか、何のための戦争だったのかといったことなどどうでもいいのだ。もう頑張る必要がない、何を言っても自由なのである。
 最近の戦争報道を見ると、武器を持った戦闘員同士が戦うのが正しい戦争で、一般市民を巻き込んだ戦争は正しい戦争とは言えないというのが一般的論調である。イラク、シリアの紛争報道では、一般市民が犠牲になった、学校、病院が空爆され児童や患者が殺されたといった報道ばかりである。本当にそうなのか。戦争ゲームみたいな戦争に変わったというのか。敵の国土を徹底的に破壊し、殺す、それが戦争ではないのか。軍人だろうと民間人だろうと区別はしない。敵国にいる者は全て敵なのである。近代戦争では、無差別攻撃こそが正当な戦術である。第二次世界大戦をみるとよくわかる。
 日本にしろドイツにしろ戦争に対しては実に真面目だ。自らの置かれている状況を真面目に研究し分析対応している。その上、前述のような開戦思想をくそ真面目に構築する。官僚や学者が真面目なのである。「クソ」がつくほどに真面目だ。真面目な分析と正しい分析とは違う。真面目な分析とは、分析結果に疑問を持とうとはしない。突っ走るのである。真面目という英語はearnestであるが、本来はearn(正当な報酬を得る)ではなくeager(熱烈な)に近い。熱烈かつ情熱的に物事に取り組み、真面目な行為に対しては正当な報酬が得られると信じている奴を真面目な奴と言う。クソ真面目な奴は危険なのだ。こうと信じたら何が何でもやる。実現するまでは何はともあれ堪え忍ぶ人並み外れた忍耐力がある。堕落に至る最大の要因はこれである。
 ところで、戦争をするからには、戦争によって得られるものがあるから戦争をするはずである。戦争の経済学である。第一次世界大戦前までは、戦争による利益は莫大なものだった。戦争は、利害関係の衝突の結果であり、より多くの利益が得られるか、多くの損失を被るかのいずれかの理由で戦争となる。ローマ帝国は、より多くの富を得るために数百年にわたって領土拡大を続けた。富の得られそうにないところは侵略しない。ローマ帝国の領土拡大の仕組みは実に面白い。ローマは、現代に比べると仕組みとしては単純だが、かなり民主的な方法で選ばれた元老院議員によって国家運営がなされていた。しかし、元老院の多数決でものごとが決定されても、皇帝が「ウン」と言わなければ国家の決定とはならない。拒否権だ。この点だけみれば、アメリカやフランスの大統領制と変わりはない。領土を拡大するためには、侵略する相手を納得させなければならない。「これからは、ローマ帝国がおまえたちの国を支配し統治する」と言い渡すが、納得しなければ暴力で屈服させる。単純明快である。ローマ軍の司令官は、元老院及び皇帝によって任命されるが、貧乏人は司令官にはなれない。軍隊は、司令官の私兵みたいなもので、報酬の多くは略奪した物資と司令官の資財であったからだ。元老院議員だって同じようなものだった。かのカエサルにしても、名門の出ではあるが女に貢ぎすぎて借金で首が回らなくなったためにガリアに活を求めた。カエサルは借金で首が回らなくなって戦争に走ったが、多くの場合には金持ちがより多くの富を得るために領土拡大に走った。カエサルが例外なのである。
 戦争をしないためには、相手国が侵略しても利益にならない国になれば良い。敵に回せば百害あって一利なしの国である。資源はないが富があり科学技術、知的能力が高い国、日本の場合にはどうすれば良いのか。第二次世界大戦では、スイスが中立国だった。あのナチも手出しはしなかった。スイスを敵に回せば、ドイツは国際的に完全に孤立する。ドルやポンド等の主要な外貨が調達できなくなり、かつ物資の輸入も困難になる。侵略するメリットは何もない。敵に回すと百害あって一利なしなのである。現代では、このような国家体制を維持することは不可能である。グローバルな経済環境下では預金者機密の完全保護は許されない。敵に回すと百害あって一利なしの国家となることは不可能である。
 日本は米国と同盟関係にあり、米国がどこかの大国と戦争状態に入れば、当然米国側につく。それでは、日本とどこかの国が戦争状態になった場合、米国は日本側について戦争をするだろうか。日本とどこかの国の戦争が世界を二分するほどの戦争となるならば、米国の参戦はあるだろうが、そうでなければ、単なる紛争であって積極的な米国の参戦は期待できない。中東のイラクとISとの戦いみたいなものだ。
 見方を変えると、第三次世界大戦が勃発するとすれば、第二次世界大戦のような世界を二分するような戦争ではなく、二国間の戦争が世界のあちこちで起こり、戦争状態が長期化することである。中東の紛争状態の長期化は、近未来の第三次世界大戦の始まりを感じさせないか。東アジアだって危ない。北朝鮮が内部から崩壊し始めた時が問題である。紛争の火種は世界中あちこちにある。

 外交力によって戦争を回避するというのが日本人の常識的考え方である。しかし、明治以来の我が国の外交を見ると、戦争を未然に防ぐ外交力というものが存在したか。これは、日本だけではない。第二次世界大戦におけるイギリス、フランスの外交力はどうだったか。第一次世界大戦から第二次世界大戦に至る20年間のヨーロッパ外交はどうだったか。守られもしない、ころころ変わる同盟条約締結儀式の連続であった(E.H.カー)。英米に至っては、ナチズム、反ユダヤ主義を擁護する外交論調だって存在した。
 外交交渉は、戦争に至るプロセスである。うまく取引できれば戦争を回避することができるが、よしんば失敗したとしても戦争開始の名目はたつ。大体、戦争を始めようとする国との間に正常な国交があるわけがない。外交とは、平和な状態をできるだけ長続きさせるための手段であり、平和なうちに有事のための敵・味方を選別しておくことであり、戦争後の処理をうまくやるためのものだ。これから戦争を始める国との外交交渉などというものは基本的にあり得ないのである。

 敗戦から72年が経った。我々は、先の大戦から何を学んだか。戦争は悲惨だから、戦争をしないということを学んだのか。こんなことは学ぶまでもなく当たり前のことだ。我々は、戦争の歴史から何も学んではいない。否、戦争の歴史記録から学べるものは、戦争の仕方だけであり、それ以外に何も学ぶことはできない。国民を戦争へと駆り立てる狂信的思想の形成、国民に戦争の正義を信じ込ませる巧妙な政策手法、恐怖政治等、戦争の原因となった歴史的記録はあまりにも少ない。何故か。こういった事実・記録は歴史から消されているのである。知的進歩、知性は全て正しいのではない。知性にこそ真の悪が潜み、知的進歩はより強大な悪を作り出すのである。
                                                           2017年8月24日