体軸通信 vol.13 | 高橋龍三オフィシャルブログ Powered by Ameba

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【ご挨拶】
 
 
こんにちは。高橋龍三です。
 
 
 
あ〜、久しぶりの体軸通信です。
 
正直にお話しすると、お蔵入りにしようという思いもありました。
 
続きはいつだ!という要望が、直接僕にではなくスタッフ宛に多数あったそうです。苦笑
 
僕もなかなか忙しくてですね、考えなければいけないことがたくさんありまして、手が回りませんでした。すみませんでした。
 
 
本当は時間があれば、設定について本を書きたいんですけどね。
  
 
『体軸理論の軌跡』もなかなか人気でして、同じ内容でもっと激しいのを10年前にブログで書いてました。
 
当時PVも好調で、当時流行ったブログ小説を出しませんか?という話も来た位でした。
 
もう僕もいい加減いい歳なので、いつまでも「ぶっ殺す!」とか言ってられませんからね。ちなみに10年前のブログのタイトルは、「殺しのライセンス」でした。苦笑
 
007の殺しのライセンスではなく、ブルーハーツの歌で「殺しのライセンス」という曲がありました。
 
 
殺しのライセンス〜
 
殺しのライセンス〜
 
殺しのライセンスを道で拾った
 
信じられないな〜嬉しいな〜
 
殺しのライセンスを道で拾った
 
 
という、逝っちゃってる歌詞です。
 
気づいたら僕は殺しのライセンスを持っていて(もちろん妄想w)、人類皆殺しにしてやろうと本気で思っていました。
 
『ガンダム逆襲のシャア』で、シャアが地球に隕石を落として人類を一度滅亡させようとするのですが、僕も同じような思いでいました。アブないでしょ。
 
でもね、ある時突然転換します。メチャクチャムカつくし気に入らないから、人類皆殺しの逆をしよう。人類皆良くしよう。マジムカつくから、根こそぎ良くしてやろう。ざまあみろ!!と思ったのです。
 
 
この10年、もっとグロいことも良かったこともあり、いややはり、グロいことの方が多かったのですが、更に大人になってしまった僕は、昔のノリで書けなくなってしまいました。
 
中には10年前からの読者もいらっしゃるのですが、その人たちからは、「落ち着いたよね。」と言われます。
 
 
僕は綺麗事が大嫌いです。上っ面の体裁とか大嫌いです。そこにリアルはないからです。
 
体軸理論ができるまでには、泥水飲みながら、コールタールでベチャベチャになりながら、怨み妬み嫉みをかい潜りながら、一つ一つ積み上げて来ました。他の人には僕と同じ思いをして欲しくありません。そう思っても一定数の人は必ず同じ思い、もしくはもっと酷いことになるのですが、その一定数をできるだけ下げたいのです。
 
 
ですので、今の活動をしています。
 
今後体軸理論は、必ず文明の進化スピードを加速させます。
 
水面下で進めているプロジェクトがたくさんあります。
 
みなさんがぶったまげることがありますので、どうか僕らを見てぶったまげてください。
 
 
メルマガもまた書きます。書きますよ〜。
 
質問が賑わうと、書く気が起こるんだけどなぁ。
 
励ましメールとか来ると、書く気が起こるんだけどなぁ。
 
 
そんなわけで、今週もよろしくお願いいたします!

 

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【身体意識と設定】


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前回は以下で終わりました。
 
理学療法の話です。
 
  
一般の人々は、病院に呆れています。なぜなら、保険を税金でまかない、それをもとに病院は運営されています。
 
国民の血税が使われているのにもかかわらず、病院に行っても治らない。呆れますし、失望感がつきまといます。
 
 
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前回の続きです。
 
 
保険診療なら保険診療という枠が出来た時点で、既得権益が生まれます。その枠を維持していた人が得をする人たちです。得をする人がいる以上、そのシステムの中から改善案が生まれたりはしません。つまり、自浄作用が無いのです。
 
『理学療法とは明確な手技のことを指しているわけではなく、『何らかの方法』で運動機能を維持,改善させる治療法を理学療法と呼ぶ。』
 
と、理学療法協会のHPに書いてあります。にもかかわらず、暗黙の了解として『決められた手技』を使わなければなりません。その決められた手技を使って治ればもちろん良いのですが、治らないから問題なのです。
 
 
で、昨今はその枠が崩れつつあると。枠が崩れた原因は、毎年1万人以上増えると言われている療法士数の飽和、そして、医療保険財源の枯渇、この2つです。
 
枠が崩れると、応用がきく者だけが残ります。応用がきかない者がどうなるかというと、仕事がなくなります。
 
個人的には、キツいよなぁ、と思います。なぜなら、半分公務員みたいな感じで政治側にいたのに、経済側に行くことを余儀なくされると、いきなり対応するのはキツいと思うのです。一般社会の社会人1年目と同じなわけです。
 
 
 
僕は前回以下のように書きました。
 

-現在、理学療法は、各施術法の中でとても重要なポジションにいる、というのが僕の認識です。-


何が重要なのか?
 
それは、
 
 
『筋,骨格で身体を診ることを基本とする』
 
 
という点です。


 

次回に続きます。

 

 

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【Q&Aコーナー】


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臨床、施術、ヨガ、スポーツ、その他もろもろ質問を受け付けています。銀座でおすすめのラーメン屋さんは?

 

とかでもOKです。

 

◆質問は http://metaaxis.co.jp/info.phpまで◆

 

また、基本原文で記載しますが、ご挨拶でお名前が記載されていると個人情報の問題もあり、そこだけ修正します。掲載希望の方は、お名前の横に(掲載希望)と書いて頂ければそのまま記載します。

 

未記載の場合は基本削除しますのでご理解願います。

 

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質問お待ちしております!

 

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【体軸理論の軌跡】

 

体軸理論はどうやってできたのですか?TLテクニックはどうやって思いついたのですか?などなど、頻繁に質問を受けます。ですので、今までのいきさつを書こうと思います。

 

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[前回までの話]

 


で、僕がとった対策。
 
 
ただ時間が過ぎるのを待ちました。
 
 
ただただ時間が過ぎるのを待ちました。
 
 
相変わらずの毎日で、存在を踏みにじられる毎日でしたが、ただただ時間が過ぎるのを待ちました。
 
諦めた、いや、諦めともまた違くて、考えないようにしていたというか、なんというか、そんな感じでした。
 
 
この頃から中学卒業するまで、羞恥心とか自尊心とか全くありませんでした。身体も心も、痛覚が麻痺していました。この麻痺は、20代後半までありました。
 
自分は駄目人間で、地べたを這いつくばるのが自分だと思っていました。地面のコンクリートのタールや、土や、ゴミを、汚いと思っていませんでした。むしろ味わい深いものだと思っていました。それら地面と自分の差が、よくわかりませんでした。

 

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前回の続きです。



そんな感じでひたすら耐えました。
 
 
僕は身体の成長スピードが著しく、小学校卒業時には165?ありました。中二時点で175cm 65kgでした。
 
 
中学に入り、Aとモメたのは1度だけでした。
 
 
ある日の放課後部活中、校庭でAにテニスボールをぶつけられました。
 
落ちていたテニスラケットを拾い、僕はAの方に走り寄ると、Aは走って逃げました。
 
逃げるAを追いかけ、思いっきり背中をテニスラケットで叩きました。
 
怒った顔で振り返ったので、こちらも臨戦態勢に入りました。
 
僕は気力が充実していて、あとは思いっきりAをブチのめすだけでした。
 
 
しかし、Aは、
 
 
「痛てーな、テメエふざけんな!◯△ ×#」
 
 
なんだかゴチャゴチャ言って、行ってしまいました。
 
Aは弱くなってしまったのです。あんなにキレキレで強かったAが弱くなってしまったのです。



僕が中二頃は面白い時代で、ちょうど転換期でした。学校のカリキュラムも、僕の学年までが旧カリキュラムでした。旧カリキュラムは、家庭科は中一までしかやらなかったのですよ。
 
 
結局地元は、ある一定の枠内でわめいている奴らしかいませんでした。
 
市川から転校して来た僕を散々田舎者扱いした奴らは、時代について行けませんでした。
 
当時の江東区の中学は面白くて、深川四中を境に南北に分かれ、北側はヤンキー文化、南側はチーマー文化でした。深川四中は、校内でヤンキー派とチーマー派に分かれてました。笑
 
保守的でファッションセンスがダサいので、僕はヤンキーが嫌いでした。気づけば、南側の中学の友達とつるむのが多くなりました。
 
南側の中学でメチャクチャしていた奴らの中の一部は、現在経済界で名を轟かせている男もいます。悪い奴らですが、そこまで振り切ったのはある意味凄いことだと思います。だいたいの奴は、ずっと地元でイキがっているだけですが、そいつらは今では全国区です。どうせやるならそこまでやれよ、と思います。
 
 
その後の中学校生活は、地味な嫌がらせやジャマはありましたが、そのまま卒業しました。
 
卒業式で自分の名前を呼ばれた時、僕は全身全霊思いっきり大声を張り上げて、


「ハイッッッ!!!!」


と返事をしました。
 
このクソくだらない小中学校生活がやっと終わった。やっとこのクソくだらない地元の外に出て毎日を送ることができる。テメーらの誰よりもオレの方が気合入ってる。いつでもやってやるぞ。そもそも全員Aより弱いんだったな。一人じゃケンカもできない弱い奴らだったよな。なんならこの後、全員やってやるよ。
 
という思いを込めて返事をしました。もちろん、誰もやって来ませんでした。


謝恩会で、僕の返事について、先生達が両親を褒めたそうです。りゅうぞうくんの返事が一番良かった、と。



いつの時代も、大人はズレているものです。

 

 

次回に続く、、、