私だけかもしれませんが、ロッキーのパート3から5を観て「これって、本当にパート1と2のロッキーと同一人物っていう設定?」と思いました。

が、パート6では原点回帰。

 

ランボーも似たような感じで、パート1の映像や音楽から伝わるアメリカンニューシネマ的な重苦しさが2と3でいったんなくなり、4と5ではやや形を変えながらも戻ってました。

また、4と5はテーマが一部共通していると解釈。そのため二作品のレビューを合わせて投稿するつもりでしたが、パート4だけでも長くなったので分けて投稿することに。

 

 

以下、パート4の『ランボー 最後の戦場』についてネタバレあり。

 

冒頭、主人公が厭世観にどっぷり漬かっている様子なのが興味深かった。

前作である『ランボー3 怒りのアフガン』のラストシーンでは、かつての上官の救出に成功し、ソ連軍を相手に共闘したアフガニスタンの戦士たちと友情を確認し合ったりと、シリーズ中で最も幸せそうに見えたのに。

 

この変化の理由は作中で語られていなかったので、シリーズが中断していた二十年間、現実世界の出来事に起因していると解釈するしかなさそう。

以下、私の勝手な解釈。

 

9・11後、米軍はアフガニスタンを攻撃。

幼い子どもたちをふくむ非戦闘員までもが空爆により命を落とし、あるいは手足を失うなどの重傷を負うことに。

ランボーがパート3で共闘し、たがいに友情を育んだアフガン戦士たちはもちろん、ベトナム人女性(パート2に登場)の形見であるペンダントを譲った少年も、かつて自分が属していた米軍による攻撃で命を落としたかもしれない。

 

その後、米軍はイラクにも攻撃を仕掛け、それを正当化する大量破壊兵器の存在は認められなかった。

アブグレイブ刑務所では、イラク人捕虜たちが人間としての尊厳を踏みにじられた。

 

これだけでも、主人公ランボーが厭世観に浸るのに十分であると、私には思えました。

「こんな国のために俺は命を賭け、俺の戦友たちは命を落としたのか! ベトナム戦争から、何も学んでなかったのか!」と。

 

以上はあらかじめお断りしたとおり私の勝手な解釈であり、主演と脚本、監督をつとめたシルベスター・スタローンがそのような意図を込めていたかどうかはもちろん不明です。

が、上記私の解釈が許容範囲内であることは、主人公の独白によって裏づけられていると思ってます。

人道支援活動家たちの救出に乗りだすと決意した際の、「国のためではなく、自分のために敵を殺すんだ」という独白で。

パート2のラストシーンでは「俺たちが国を愛したように、国も俺たちを愛してほしい」と言ってましたが、9・11後のアメリカ合衆国の動きに、「国を愛し、国のために命を賭けたところで、報われることなど何もない」と悟ったのだろうと、私は解釈しました。

 

パート3公開後、長く空白がつづいたランボーシリーズの新作が制作されるとの噂が流れるたび、ネットでは「次の敵は北朝鮮か?」とか、「いや、新疆ウイグル自治区の人たちを救うために、中国政府と戦ってほしい」という願望が散見されました。

ランボーシリーズのファンでない私はそれらの議論に参加しませんでしたが、「アフガニスタンやイラクに乗り込み、現地の罪なき人たちを守るため、かつて自分が所属していた米軍を相手に戦ってこそ、真のヒーローになれるだろう。だけどそんな映画を作るのは、スタローンにとって色々な意味でリスキーだろうな」と思ってました。

 

米軍を相手に戦わなくても、国のために戦う者ではなくなっていることが独白によって明らかになり、ランボーというキャラクターは初めて、私にとって感情移入の対象に。

ミャンマーが舞台になるのも、パート3から居住しているタイとの地理的な位置関係を考えると、少なくとも北朝鮮や中国に乗り込むよりは無理がないかも。

平和的な方法で少数民族を支援しようとする女性の熱意に心を動かされたという流れも、「ベトナムでもアフガニスタンでも、武力によって平和をもたらすことはできなかった。この女性がしようとしているように、医薬品や本などを届ける活動こそ、人を救うことができるかもしれない」と考えたのであれば、“物語としてのリアリティ”は十分かも。

 

敵の人員の多さにたじろぎ撤退しようとする傭兵に放つ「意味なく生きるか、何かのために死ぬか、おまえが選べ」というセリフには「おいおい、弓矢で脅迫しときながら、何て理不尽な……」と思いましたが、

ラストシーンの手前、自らが築いた屍山血河を見下ろす眼差しが虚無感で満たされていたのは素晴らしかった。

「国のためではなく、自分が信じる大義のために死ぬ覚悟で敵を殺した。それでも、心が満たされることはなかった」と語っているようで。

このシーンに説得力をもたらすためと考えれば、重機関銃の掃射で敵兵たちの体を肉片に変える残虐描写の積み重ねは必要不可欠だったのでしょう。

 

明日以降、パート5の『ランボー ラスト・ブラッド』のレビューを投稿予定。