先程、落合監督の事に触れましたが、偶然、ネットの記事でも特集してました
炯眼の勝負師・落合博満監督に、ただひとつ足りなかったもの。
Number Web 10月4日(火)18時59分配信
オークランド・アスレチックス・松井秀喜外野手の師といえば、いわずと知れた巨人の長嶋茂雄終身名誉監督である。
「いま自分がやろうとしているバッティングは、基本的には巨人時代に長嶋監督とやってきたことと同じなんです」
メジャーに渡って9年、プロ生活20年になろうかという今でも、ミスターと二人三脚で追い求めた打撃の真髄を究めるために、松井は階段を登りつめているわけである。
そのミスターとは別に、実は松井にはもう一人、“影の師”ともいえる存在がいる。
「理にかなっているけど難しかった。ようやく最近になって言っていたことが分かることがある」
中日の落合博満監督である。
プロ2年目の1994年、落合は中日からフリーエージェントで巨人に移籍してきた。それから日本ハムに移籍するまでの3年間、打者・松井は打者・落合から薫陶を受けたのだった。
■「自分で考えろ」……選手時代も監督時代も同じ姿勢だった。
「当時は落合さんの言っていることの半分も理解できていなかった」
松井は振り返る。
普段はあまり何も言わない。たまに風呂場で顔を合わせたときに、問わず語りに落合がバッティング論を語りだす。ほとんど一方的に話す内容は、難しかった。
そして――。
「まあ、その内に分かるから」
最後はこう笑って、湯船から上がっていく。
それが常だった。
「その後、自分でも色んなことを経験して、自分なりにバッティングというものを考えていったとき、『そういえば落合さんが言っていたなあ』ということがよくあったんです。あの当時の僕は、まだガキだったから落合さんの言っていることが難しすぎた。言葉の意味を半分も理解していないところもあった。でも、あのときに聞いた話は、いま思うとすごく理にかなったものだったと思います」
松井は振り返る。
これは落合という人物の本質を伝えるエピソードでもある。
口下手と言えば口下手ではある。ただ、落合には相手が分かるまで、懇切丁寧に噛み砕いて説明しようなどという思いはない。
「自分で考えろ」
そうしなければ成長はないということだ。
監督になった落合も、本質は同じだった。
■ブランコの起用にみる、落合監督の類まれな洞察力。
落合監督の凄みは、野球に対する類まれな洞察力にある。
典型的な例は今季のトニ・ブランコ一塁手の起用の仕方だった。開幕から不振にあえぐブランコを、落合監督は6月4日から約2カ月間の長きにわたって二軍に落とした。チーム状態が決して良かったわけではない。むしろどん底だった。しかも代役として一軍に登録していたジョエル・グスマン外野手は打率1割台とブランコ以上の低空飛行を続けていた。
しかし、落合監督の視線は、先にあった。6月の当時、抜け出していたのは優勝経験のある選手が少ないヤクルトだった。しかも開幕が約2週間遅れた今季は9月以降にも35試合以上の試合を残している。
じっくりとそこに向けて調整させたのだ。2カ月のキャンプで作り直させて、勝負どころで切り札として投入した。8月30日に再び一軍に上がったブランコを、迷うことなく4番で起用した。そしてこの4番が機能したことが、中日のラストスパートにつながっている。
■プロでも簡単に見抜けない野球の奥深さや怖さを熟知する。
彼我のチーム力や、選手個々の状態と持っているポテンシャルを見極める力、試合の流れを読んで勝利への道を探す探求力、そして144試合という長丁場を踏まえた上でシーズンを展望して優勝への道筋を築くコンストラクション力……。この監督は表面的には見えない、プロでもなかなか見抜けない、野球の奥深さや怖さを見抜く力に長けている。その洞察力にかけては、12球団の監督の中でもトップクラスにあることは間違いない。
だからシーズン終盤には必ずチーム力が上がってくる。ここ数年の中日の特長は、この監督の洞察力から導き出されるものだといえよう。その結果が、就任以来7年連続Bクラスなしという結果として残っているわけだ。
だが、それだけ野球を動かすことに長けた監督でも、就任8年をもって職を辞さなくてはならなくなった。9月22日、中日は今季限りで契約の切れる同監督の退任と、来季監督にOBの高木守道元監督の復帰を発表した。
すでに様々なところで今回の退任劇の裏側は報道されているので、読者も経緯はご存じだと思う。
勝利至上主義の落合野球は「つまらない」と言われ、近年はナゴヤドームの観客動員が著しく低迷している。ファン離れだけでなく地元財界との軋轢もささやかれ、親会社の中日新聞社内でも販売、営業部門から突き上げがあった。外様コーチを重用してOBからの批判も噴出していた。
だが、本質は一つである。
理由は落合監督の言葉が少ないことだった。
■できなかったのか、できるのにしなかったのか……。
「勝つことが最大のファンサービスだ」
こう語ることで、情報を閉ざし、言葉を閉ざしてきた。
「理にはかなっているけど難しい」
選手に対するのと同じように、ファンやマスコミ、関係者をも突き放した。すべての不満の発端は、その回路を閉ざしたことにあるように思う。
プロ野球はスポーツである。
ただ、もう一つ、マスコミを媒介としたファンを相手にする興業という側面も併せ持つ。
お客様は神様だから、何でもかんでも、監督や選手はファンにサービスしなくてはいけないというつもりは毛頭ない。ただ、戦術に関して語れるのは唯一、監督だけだというのも動かせない事実なのだ。チームの情報を掌握して、公表する権限を持つのも監督ただ一人である。逆に考えれば、監督が情報をきちっと整理して、公表することでチームや選手を守ることもできるわけである。そういう意味では監督は唯一、チームのスポークスマンにもなり得るし、そうならなければならない立場なのである。
それをできなかったのか、できるのにしようとしなかったのか……。そうしながらでも優勝争いのできるチームを作り動かすだけの力がある監督だったはずだ。
それだけに何とも惜しい気持ちだけが残った。
「いま自分がやろうとしているバッティングは、基本的には巨人時代に長嶋監督とやってきたことと同じなんです」
メジャーに渡って9年、プロ生活20年になろうかという今でも、ミスターと二人三脚で追い求めた打撃の真髄を究めるために、松井は階段を登りつめているわけである。
そのミスターとは別に、実は松井にはもう一人、“影の師”ともいえる存在がいる。
「理にかなっているけど難しかった。ようやく最近になって言っていたことが分かることがある」
中日の落合博満監督である。
プロ2年目の1994年、落合は中日からフリーエージェントで巨人に移籍してきた。それから日本ハムに移籍するまでの3年間、打者・松井は打者・落合から薫陶を受けたのだった。
■「自分で考えろ」……選手時代も監督時代も同じ姿勢だった。
「当時は落合さんの言っていることの半分も理解できていなかった」
松井は振り返る。
普段はあまり何も言わない。たまに風呂場で顔を合わせたときに、問わず語りに落合がバッティング論を語りだす。ほとんど一方的に話す内容は、難しかった。
そして――。
「まあ、その内に分かるから」
最後はこう笑って、湯船から上がっていく。
それが常だった。
「その後、自分でも色んなことを経験して、自分なりにバッティングというものを考えていったとき、『そういえば落合さんが言っていたなあ』ということがよくあったんです。あの当時の僕は、まだガキだったから落合さんの言っていることが難しすぎた。言葉の意味を半分も理解していないところもあった。でも、あのときに聞いた話は、いま思うとすごく理にかなったものだったと思います」
松井は振り返る。
これは落合という人物の本質を伝えるエピソードでもある。
口下手と言えば口下手ではある。ただ、落合には相手が分かるまで、懇切丁寧に噛み砕いて説明しようなどという思いはない。
「自分で考えろ」
そうしなければ成長はないということだ。
監督になった落合も、本質は同じだった。
■ブランコの起用にみる、落合監督の類まれな洞察力。
落合監督の凄みは、野球に対する類まれな洞察力にある。
典型的な例は今季のトニ・ブランコ一塁手の起用の仕方だった。開幕から不振にあえぐブランコを、落合監督は6月4日から約2カ月間の長きにわたって二軍に落とした。チーム状態が決して良かったわけではない。むしろどん底だった。しかも代役として一軍に登録していたジョエル・グスマン外野手は打率1割台とブランコ以上の低空飛行を続けていた。
しかし、落合監督の視線は、先にあった。6月の当時、抜け出していたのは優勝経験のある選手が少ないヤクルトだった。しかも開幕が約2週間遅れた今季は9月以降にも35試合以上の試合を残している。
じっくりとそこに向けて調整させたのだ。2カ月のキャンプで作り直させて、勝負どころで切り札として投入した。8月30日に再び一軍に上がったブランコを、迷うことなく4番で起用した。そしてこの4番が機能したことが、中日のラストスパートにつながっている。
■プロでも簡単に見抜けない野球の奥深さや怖さを熟知する。
彼我のチーム力や、選手個々の状態と持っているポテンシャルを見極める力、試合の流れを読んで勝利への道を探す探求力、そして144試合という長丁場を踏まえた上でシーズンを展望して優勝への道筋を築くコンストラクション力……。この監督は表面的には見えない、プロでもなかなか見抜けない、野球の奥深さや怖さを見抜く力に長けている。その洞察力にかけては、12球団の監督の中でもトップクラスにあることは間違いない。
だからシーズン終盤には必ずチーム力が上がってくる。ここ数年の中日の特長は、この監督の洞察力から導き出されるものだといえよう。その結果が、就任以来7年連続Bクラスなしという結果として残っているわけだ。
だが、それだけ野球を動かすことに長けた監督でも、就任8年をもって職を辞さなくてはならなくなった。9月22日、中日は今季限りで契約の切れる同監督の退任と、来季監督にOBの高木守道元監督の復帰を発表した。
すでに様々なところで今回の退任劇の裏側は報道されているので、読者も経緯はご存じだと思う。
勝利至上主義の落合野球は「つまらない」と言われ、近年はナゴヤドームの観客動員が著しく低迷している。ファン離れだけでなく地元財界との軋轢もささやかれ、親会社の中日新聞社内でも販売、営業部門から突き上げがあった。外様コーチを重用してOBからの批判も噴出していた。
だが、本質は一つである。
理由は落合監督の言葉が少ないことだった。
■できなかったのか、できるのにしなかったのか……。
「勝つことが最大のファンサービスだ」
こう語ることで、情報を閉ざし、言葉を閉ざしてきた。
「理にはかなっているけど難しい」
選手に対するのと同じように、ファンやマスコミ、関係者をも突き放した。すべての不満の発端は、その回路を閉ざしたことにあるように思う。
プロ野球はスポーツである。
ただ、もう一つ、マスコミを媒介としたファンを相手にする興業という側面も併せ持つ。
お客様は神様だから、何でもかんでも、監督や選手はファンにサービスしなくてはいけないというつもりは毛頭ない。ただ、戦術に関して語れるのは唯一、監督だけだというのも動かせない事実なのだ。チームの情報を掌握して、公表する権限を持つのも監督ただ一人である。逆に考えれば、監督が情報をきちっと整理して、公表することでチームや選手を守ることもできるわけである。そういう意味では監督は唯一、チームのスポークスマンにもなり得るし、そうならなければならない立場なのである。
それをできなかったのか、できるのにしようとしなかったのか……。そうしながらでも優勝争いのできるチームを作り動かすだけの力がある監督だったはずだ。
それだけに何とも惜しい気持ちだけが残った。
以上です
考えさせられますね