早川写真工房。千代田区神田神保町2-42。1995(平成7)年6月25日
白山通りの西神田1交差点と専大通り-水道橋西通りの西神田交差点を結ぶ東西の通りの中央辺り。写真右奥は南の方向で靖国通りに出る。写真に写っている古い建物は戦後まもなく建てられたものだろう。現在は大原学園高等学校のビルが建っている。2009(平成21)年に開校しているのでその時に建ったのだろうか。
交差点角の家は「早川写真工房」。廃業しているように見えるがフジカラーの幟が立っていて、DPEの店だったようだ。そこから右へ、住宅、マイクロ印刷、川上商会。
右奥のビルは「昭和ビル/昭和図書株式会社」。『NISSEI>昭和ビル』によると、1959(昭和34)年の竣工。2001(平成13)年5月に現在のビルに建替えられた。『昭和図書株式会社』の会社沿革では、「1959年、昭和図書設立」「1964(昭和40)年、神保町倉庫を建て替え、本社ビルが完成」とあり、こちらの方が正しいようだ。
写真左の「阿部ビル/ベーカリーアベ」が今も変わっていない。
セブンヘアー。千代田区神田神保町1-13。2006(平成18)年5月4日
白山通りとすずらん通りの交差点角にあった床屋。隣の「東明徽章」と一緒の、たぶん戦前築の看板建築。
東明徽章は昭和25-30年火保図に「バッチ東明社」と出ているので、戦前からあるバッジ・トロフィーの店かもしれない。『月光>神保町 救世軍』に、1976年に撮られた写真が載っていて、看板に「東明徽章工藝社」とある。
角の床屋は昭和50・60年代では、同じ床屋だが「理髪一番」だった。
ストリートビューからだが、建物は2019年に取り壊されて、2020年頃に2棟の3階建の家に建て替わった。
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暁(あかつき)橋。中央区明石町-築地3
1985(昭和60)年6月2日
築地川南支流に架かっていた橋。暁橋の下流(西南)に備前橋があったが、そこから上流は1971(昭和46)に埋めたてられているので、川底は「築地川公園」という運動公園のようになっていた。暁橋は1985(昭和60)年に撤去されたということなので、撮影後まもなく解体工事が始まったのだと思う。
『東京路上細見2』(林順信著、平凡社、1987年、1900円)には、「明石町と築地とを結ぶので明築橋であるところを暁橋と改字した」とある。1927(昭和2)年3月の竣工で、両岸にコンクリートアーチ橋の橋台を張り出して中央部に鋼桁を渡した構造。『東京の橋』(伊東孝著、鹿島出版会、昭和61年、2200円)では「鋼桁橋のラーメン橋台橋」としているタイプ。
後方のビルは「日刊スポーツ新聞社」。現在は建て替わっている。
三栄印刷。中央区明石町11。1985(昭和60)年6月2日
築地本願寺の裏を流れていた築地川南支流に架かっていた暁橋の南の袂にあった建物。聖路加国際病院の向かい側で、建物の前の通りは1996(平成8)年度に「聖ルカ通り」という愛称が付いた。木造3階建て、壁をレンガ風のタイル貼りにしたアパートのようだ。聖路加病院が完成した後の建築のようなので、昭和10年前後の建築かと思われる。1986(昭和61)年の住宅地図では建物の左2軒が「三栄印刷」。
『中央区立図書館>地域資料室>画像データ』の「明石町付近-暁橋東詰山崎宅」の写真は屋根の形が分かり、右横が少し見えている。
現在は周辺の民家と共に「ミキジ明石町ビル」(1989年5月築、6階建)というオフィスビルに替わっている。「ミキジ」は当ブログ「堺橋際の洋館/明石町」の「三木治商店」からきているのだろう。
浅草国際劇場。台東区西浅草3-17
1983(昭和58)年頃
『ウィキペディア>国際劇場』によると、浅草国際劇場は1937(昭和12)年の竣工、4階建地下1階、SRC造、客席は3,860席で「東洋一の5千人劇場」と称したらしい。舞台は間口16間高さ6間。設計は成松建築事務所。『日本近代建築総覧』と『近代建築ガイドブック[関東編]』(鹿島出版会。昭和57年)では「設計:松成建築事務所、施行:矢島組」。
松竹少女歌劇団(SKD)のホームグランドとして運営されてきた。こけら落しは昭和12年7月3日でSKDの公演。7月7日に盧溝橋事件が起こるのだが、主な観客の少女らには関係なかったかもしれない。日中戦争が始まってしまったわけで、戦後に再開されるまで、レビューが見られたのは何年間のことだったのだろう。
1982(昭和57)年4月5日の「第51回東京踊り」を最後に閉館した。翌年4月30日から解体工事が始まった。写真を撮ったときはもうじき取り壊される建物という認識があって、記録しておこうと1枚撮ったわけだが、まだ近代建築についての興味も知識もなく、この1枚で終わってしまった。
脚本家、小説家の山田太一が国際劇場の向かい側で子供時代を過ごした。『土地の記憶 浅草』(岩波現代文庫、山田太一[編]、2000年、900円+税)に「故郷の劇場」(1982年)という随筆が収録されている。「昭和9年に、国際劇場と大通りをへだてて向き合った一画(六区の食堂)でうまれた。昭和19年に、強制疎開で家をとりこわされて(湯河原へ)引っ越すまで、…国際劇場の前景を見ないで過ごした日は一日もない、…」ということで、SKDや戦後はじめて再見したときの感激などのことなどが語られている。映画化もされた1987年の小説『異人たちとの夏』は山田太一の思い出を脚色したのだろうが、国際劇場の閉館が契機になったのかもしれない。
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長島歯科医院。文京区本郷4-14。2007(平成19)年2月17日
春日通りの東富坂(真砂坂)の坂上、真砂坂交差点を北へ入ったところで、写真左奥が春日通り。今は「真砂坂」の交差点名は使わないようで、一つ東の交差点が「真砂坂上」交差点。
ツタに覆われた廃屋は、1986年の住宅地図にある「長島歯科」だろうか。1974年の住宅地図では「ドレス小百合 ナガシマ歯科」。下の写真では歯科医院とは思えない玄関だが、2009年11月のストリートビューで建物左側の玄関を見ると、歯科医院だったとしてもいい構えだ。
建物は3階建木造ではないかと思うが、建築年代が分からない。戦後の建築のような気がする。SVでは2013年には取り壊されて空き地になっている。
春日通りとの角に「比田井設計事務所」があった。
春日通りの向かいの黄色の建物は「池田屋酒店」。現在は「プラウド本郷ヒルトップ」(2014年2月築、17階建89戸)というマンションに替わっている。
き楽、しげ子。静岡県静岡市清水区巴町7。2014(平成26)年11月27日
国道149号の西を国道と平行に南流しているのが巴川。写真はその東岸の川沿いの通りで、千歳橋(県道407号)の北に昭和40年代に建てられたと思われる飲み屋が並んでいる。大通りの裏の飲み屋街といったところだ。ここも衰退傾向にあって、2022年10月のストリートビューでは、写真の左端から千歳橋の麓まで、開業していそうなのは3軒。「き楽」はすでに営業しているようには見えないが、2020年には看板を外して空き店舗になっている。「しげ子」の左は2012年5月のSVに「京」の看板。
ギョーザ倶楽部、しんちゃん。巴町7。2014(平成26)年11月27日
巴川に架かる千歳橋の際で、写真左側が巴川沿いの道、右が県道407号。飲み屋の「しんちゃん」は、2020年12月では改装されて「Riviere」の看板が小さく出ている。「プライベートサロン」と言われてもよく分らないが美容院らしい。
角の「ギョーザ倶楽部」はラーメン屋かと思う。2016年11月のSVでは「ちょい呑み処 さとす」に替わった。
居酒屋小噺。静岡県静岡市清水区巴町6。2014(平成26)年11月27日
みずほ銀行新清水出張所の裏手にあった飲食店が入った建物。国道149号の裏通りで、写真手前が国道149号の清水相生町交差点、左奥が巴川。
写真からは1階に居酒屋「小噺」と喫茶店「GEORGIA」、2階にスナック「真紀」と「清美」。建物は昭和30、40年代に建てられたと思われる、簡易集合店舗といったものだろうか。『Tripadvisor>小噺』の2017年の投稿記事に「新清水駅に近い居酒屋です。初めてだと、ちょっと入りにくい雰囲気です。外には懐かしい(古い)映画のポスターが張っており、映画ファンが集います。」とあった。ほんとかな? と思うが、写真に写っている映画ポスターは「女の一生」(松竹、1967年公開、主演=岩下志麻)と「標的の村」(2013年公開)。
ストリートビューを見ると、2019-20年に取り壊され、2022年10月の画像では建物を建設中で土台ができている。
樋口米店。巴町7。2014(平成26)年11月27日
小噺と同じ四つ角にある「樋口米店」。その隣は販売機だけのタバコ屋。次いで「軍物の店 AMERICAYA」で、2015-16年に左の平屋の家と共に取り壊されて駐車場になっている。