坂森七宝、ニシヤ商会。台東区東上野3-9。2008(平成20)年9月5日
浅草通りの東上野3交差点(下谷神社前交差点の1本西)から南へ100mのところ。戦前築の二軒長屋と銅板貼りの看板建築が並んで残っている。看板建築から左へ4軒の家は、個々に改装されているが四軒長屋かも知れない。
ガラス戸に「坂森七宝」と入っている家は「坂森七宝工芸店」の自宅だか社員寮だろうか。会社と店舗は浅草通りの元浅草1にある。
写真左の「エルザ」の赤い日よけの家は外観からして喫茶店だったと思うのだが、『相沢米店、他』の昭和62年頃の写真では「フードショップ・エルザ/和洋食材料卸・西谷商会」の袖看板があって、喫茶店だったという証拠がない。エルザの日よけは2017年には破れてしまい、取り替えられて遂にエルザの店名は消えてしまった。
東部自協組合館。台東区台東4-14。2008(平成20)年3月1日
昭和通りの台東四丁目交差点から南へ150mほどの横丁を東へ入ったとところ。写真左(西)へ行くと御徒町公園。
写真のビルには玄関の両側とその左に円柱があって、玄関の上部に「東部自協組會舘」の建物名称と「東部自転車工業協同組合」という団体名が書いてある。建物はRC造のようだが2階建。奥行きは裏の道路まである。戦後まもなくの建築と思われる。
ストリートビューでは、2010.01では玄関に「多慶屋自転車修理受付入口」の看板。2013.07では「多慶屋本部ビル」と変わっていて壁の色がグレーに塗り直されている。2017年頃に取り壊されて駐車場になった。
本田屋酒店。葛飾区青戸1-11。2010(平成22)年11月21日
青砥駅東口から南へ50mのところ。青砥駅の東側は「青砥駅前通り商交会」が組織されていて、駅前を通る南北の通りは「青砥駅前通り商店街」と言っていいのかも知れない。商交会のHPには「昭和7年に京成青砥駅が完成し、商店が出来始める昭和16年に青砥駅前商店会が発足。大戦で活動中止の後、昭和24年5月に青戸駅前通り商交会として再開した歴史ある商店街」とある。
写真の本田屋は、右の方にコンビニの形態で店を出しているから、店舗を新しく造って、写真の店舗は倉庫か住居にしているように思える。建物は戦後まもなくの建築らしい。見ての通りの目を引く建物だから、ネット上でも幾つものサイトで取り上げられている。
『歩・探・見・感>葛飾区本田淡之須町』に、梁に留められた横長の表札の写真が載っている。それには「葛飾区本田/淡之須町41/宇田川商店」と手書きで書かれている。本田淡之須町(ほんでんあわのすちょう)は1967(昭和42)年6月まで使われた旧住所。宇田川商店の屋号が町名からきた本田屋だったのか、とかってに想像してみる。
信濃屋洋品店。千葉県松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日
常磐線馬橋駅東口から東へ行って、旧水戸街道にぶつかる交差点。角に大きな看板を構えた店があった。看板に「呉服洋品」とあるから老舗の呉服店だったような感じだ。撮影時では自転車預かり所になっていた。右の入母屋屋根の家が主屋で、その前に店舗を増築したのだろうか。主屋を見る限り、1960年頃の建築と見える。2022年6月に取り壊されてコインパーキングになってしまった。
駅前から写真の交差点まで、「馬橋駅前通商店会」の表示板がついた街灯があるから、馬橋駅前通り商店街だったのだろうが、今は組織は解散したようだ。旧水戸街道は「馬橋東口商店会」の表示板をつけた街灯があり、古くからの商店街だったわけだが、こちらも今は実体はないようだ。駅と旧水戸街道の間に、常磐線と平行に南北に「本通り商店会」がある。HPも持っている商店街である。
はりや電機、染谷時計店。松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日
信濃屋の旧水戸街道側の隣。はりや電機はエアコンの取り付け工事などを主な仕事にしているようだが、店頭でブラウン管テレビを売っている。値段がはっきり見えないのが残念。染谷時計店は後の主屋が古そうだ。「コンピューター視力測定」の宣伝文句がもはや古い。すでに閉店して感じもする。
この2軒は2014年に住宅に建て替わった。
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林カバン店。台東区台東3–25
2003(平成15)年10月23日
小峯米店だった家の向かい側。1966年の住宅地図では、写真左の四つ角の角の家が「岩狭屋商会」、その右の銅板張り看板建築が「林カバン店」。
岩狭屋は「オリエンス御徒町」(2009年3月築、4階建)という小さなマンションに替わった。林カバン店はカバン店としての営業はとっくにやめていたようだが、2017年頃に「はやし亭」といううどん屋を開業した。その際、当然ながら1階のショーウインドウは取り外された。
魚繁、小峯米店。台東区台東3-3。2008(平成20)年3月1日
西郷医院から西へ3軒先の並び。白い看板の家は「魚繁」という魚屋だった。『昭和の東京2台東区』(写真:加藤峯夫、出版:デコ、2013年、1800円+税)に昭和43年5月25日撮影の写真が載っている。その写真の看板には「鮮魚 御料理仕出し 魚繁」の文字が。看板は2011、12年頃に取り外された。
『昭和の東京』の写真には魚繁の右の家の看板がわずかに写っている。「いの一番」(うま味調味料)の袖看板のようで、「小峯米店」となんとか読める。
千京商店。台東区台東3-3。2008(平成20)年3月1日
西郷医院の南にある二軒長屋。1986年の住宅地図に写真奥の方が「千京商店」としてあるが、撮影時では2軒とも住宅のようだ。
保刈工務店。台東3-3。2003(平成15)年10月23日
1枚目写真の手前の路地を抜けたところの横丁。写真左奥が「保刈工務店」で、1枚目写真の路地がその手前に開いている。写真右手の長屋に「サン・ファッション」の看板が残っている。写真中央の看板建築から右の3棟は再開発されて、「プレール・ドゥーク秋葉原2」(2008年3月築、12階建44戸)というマンションに替わった。