「泰明館/本郷6丁目」コメント 『泰明館/本郷6丁目』泰明館。文京区本郷6-20。1988(昭和63)年10月10日本郷通りの東大正門前の横丁を入ると6差路の三角形の広場に出る。そこから西へいくと陸橋の清水橋だが…ameblo.jp コメント 泰明館旧住人 (KOH) 2010-12-06 23:51:42 以前、泰明館に間借りしていました。修学旅行の学生が利用するような旅館の通りを抜けてたどり着きます。中庭があって、食事つき、食事は足つきのお膳を厨房まで取りに行きました。東大だけでなく、予備校生までいろいろな学生がいました。隙間風もあったし、ストーブだけだったけれど良い思い出です。 >KOH様 (流一) 2010-12-07 11:17:45 こういう古い下宿屋で暮らしたというのは、私には貴重な経験、と思ってしまいます。古い木造の家は冬の寒さがきつそうですね。昔はそれが普通だったわけですが、KOHさんが泰明館で暮らしたのはいつ頃のことでしょうか? 賄いつきの下宿で食堂がなければ部屋に運んできてくれるように思っていましたが、自分で取りにいく場合が多かったのかもしれませんね。 学生時代に住んでいました (元東大生) 2011-08-27 16:03:40 学生時代(昭和50年代後半)に泰明館に住んでいました。あの頃はまだロの字形でした。家主だったお婆さんが亡くなった際に、相続税を支払うために、家屋の一部を取り壊してコの字形の建物に改築したのでしょうね。 >元東大生様 (流一) 2011-08-29 10:44:09 元東大生さんはこういう正統な下宿屋に住んだ東大生の最後の世代ではないですか? 学校が近ければ勉強も進む・・・そうでもないかな? 私は一人暮らしの経験がなく、今になるとそれが残念な気がします。普通は大学生から親元を離れるのでしょうが。 レスありがとうございました (元東大生) 2011-08-30 08:59:10 流一様、レスをありがとうございました。 私が泰明館に住んでいた頃は、東大生、東京医科歯科大生、東洋大生、予備校生、若いサラリーマンが住んでいましたが、確かに、賄い付き下宿はあの当時では既にクラシックな部類に属していましたね。住人も少し変わった人が多かったように思います。 昭和60年本郷 (KOH) 2011-11-23 00:21:11 懐かしくて、再びたどり着きました。駿台に通いながら、最終的には東大ではない医学部にたどり着きました。鍵のかかるドアでもなく、襖だったと記憶しています。西に面した部屋でした。修学旅行生の泊まる旅館の路地を抜けて、オフコースのさよならが流行っていた頃でした。 本番の受験直前に肺炎になってしまって、近くの慈愛病院に入院したっけ。おばちゃんにはお世話になりました。今でも時々思い出します。 25年も経って医学部の教官をしています。もし、関係の方がいらっしゃれば、お世話になりましたとお礼申し上げたいです。 >KOH様 (流一) 2011-11-25 14:36:48 廊下との仕切りは襖ですか! ほとんど住宅の一部屋ですね。近年取り壊された本郷館は明治に建てられているので泰明館もあるいは明治期に建てられ、その時代では部屋に鍵をかけるという習慣はなかったのかもしれません。 若い頃は周囲の人に世話になってばかりいるわけですが、今では周囲の若い人の世話をする立場ですね。私のようになにもしない人間が言うのもなんですが。 Unknown (KOH) 2011-11-30 21:54:03 いえいえ、建物を視点にこのような機会をいただいて本当にありがとうございます。 いくつかの映画の撮影にも使わていましたので、探せばもう一度あの姿を目にすることもできるかも知れません。 建物は、人の歴史と重ねあって、積み重ねられ、忘れられないものとなるとあらためて思いました。 訂正です (KOH) 2016-09-23 00:46:52 改めて記憶を確かめると、私が間借りしていたのは昭和54年-55年でした。西向きの部屋で窓から見える西片の景色を覚えています。 >KOH様 (流一) 2016-09-25 11:11:39 KOHさんのコメントに「修学旅行生の泊まる旅館の路地」とありますが、泰明館-大栄館旅館-新坂-菊坂下-地下鉄春日駅というルートは歩きなれた道だったようですね。当時は両側とも古い木造民家やアパートが並んでいたと思われます。今、ストリートビューを見ると、当時のまま残っているのは、泰明館向かいの民家が1軒と大栄館、それに菊坂下-春日駅の間の通り沿いに数軒、戦前に建てられた店舗がみられます。 昭和8年 父が下宿していました (熊谷 靖久) 2020-09-11 08:24:08 東京市本郷区森川町108の泰明館へ下宿し、新天地へ就職しました。この時の採用願書原本の控え(出身地役所の本人証明書添付採用願書。和紙、墨書き)が、 昨年、古い金庫から出て来ました。私の祖父が当書類一式を整えたようです。当家の歴史 >熊谷様 (流一) 2020-09-12 10:14:47 昭和8年頃の入社に伴う書類ですか! 普通は用が無くなれば捨ててしまうか、いつのまにかなくなってしまうものですね。いろいろな意味で貴重な資料ですね。 本郷森川町に下宿されていたというと、お父様は東京帝国大学を卒業されたのでしょうか? 流一様 (熊谷) 2020-11-22 18:55:32 私の父は、昭和8年3月に 地方国立大学を卒業しています。化学が専門です。在学大学と京都帝国大学医学部との強固な連携のもと、卒業と同時に泰明館へ入居させられ、国家軍部組織陸軍大臣宛ての幹部候補生採用願書提出しての採用決定の待機時間であったようです。 父の卒業研究論文への評価結果であったようです。 間も無く、父は高級官僚専用の官舎へ入居しています。 近い将来、流一様にお会いし、お話し出来ればと願っております。 お伺いします。昔からの泰明館は建替えしましたか? >熊谷様 (流一) 2020-11-23 12:00:22 大学を卒業後、陸軍関係の国家公務員を目指していたときに、泰明館で待機してわけですね。昭和8年当時の陸軍大臣は斎藤実内閣の荒木貞夫。歴史的には軍部が実権を握っていく過程の時代でしょうか。お父様がどこでどういうお仕事をされていたか興味はありますが、私なんかが聞いていいことかどうか分かりません。 当ブログ「CATEGORY>目次」の「はじめに」に、私のメールアドレスが書いてありますので、よろしければ利用してください 泰明館は現在「グリーンヒルズ泰明(2002年7月築、3階建)」というマンションに建て替えられています