大阪証券取引所。大阪市中央区北浜1-8。1992(平成4)年8月4日

「北浜」といえば、写真の大阪証券取引所の建物が想起されるかと思う。北浜を含む地区で言うと「船場(せんば)」になる。船場は土佐堀川、東横堀川、西横堀川(埋め立て、阪神高速1号)、長堀川(埋め立て、長堀通)で囲まれた地区で、江戸期から大阪の商業の中心地だった。北浜は船場の北西にあって金融街である。住所では東西に細長く、淀屋橋の西まで入ってしまうが、北浜3,4丁目は、かつては大川町(おおかわちょう)という別の町名だったので普通に言う北浜には入らないという。

大阪証券取引所は、『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では「設計=長谷部竹越建築事務所、施行=大林組、建築年=昭和10年、構造=鉄筋コンクリート造6階建、所在地=東区北浜2-1(1989年2月に東区と南区が合併して中央区になった)」、解説に「住友銀行本店建設のために置かれていた住友工作部が、建物完成のため解散し、その中心であった長谷部鋭吉と竹越健三が新たに事務所を設立、その第一作となったのがこの建物である」とある。
写真の大阪証券取引所は「市場館立会場(たちあいば)」ともいい、場立ち2000人を収容する大空間に小判型の玄関ホールが付いたもの。事務所は別棟で市場館の後に建てられた。

 
左:土佐堀通側後方。右:堺筋南側

『ウィキペディア>大阪証券ビル市場館』によると、取引所機能の電算化により立会場は1999年(平成11年)7月で廃止された。建物も2000年(平成12年)3月閉館となり2001年(平成13年)10月より取り壊しに。建て直された「大阪証券取引所ビル」は2004年11月の竣工、24階地下2階建。北浜1交差点に向いたエントランスホールの半円形に柱が並ぶ外観は復元された。景観もかなり保持されたように感じる。