二郷半領不動堀樋。埼玉県三郷市戸ヶ崎。2003(平成15)年11月26日

閘門橋の100mほど北に古いアーチ橋がある。そこからまた100mほど北に同じような外観の橋があり、共に県道67号(葛飾吉川松伏線)を渡している。下を流れる川は共に「第二大場川」で、第二大場川はここでは中州を挟んで二本に分かれているのである。すぐ西で合流した後、そのすぐ南で大場川に入る。川が2本になっているところの長さは東西に400m。第二大場川はこの辺りでは中川に排水するため人工的に掘られた掘割と思われるのだが、なぜ2本も掘られたのか不可解である。
第二大場川の水源は約9km北の武蔵野線の吉川駅辺りという。二郷半領用水と大場川との間を南下してくる。1973(昭和48)に三郷放水路ができて、今はそこから江戸川に入ってしまう。第二大場川は三郷放水路で分断されてしまったわけで、そこまでの上流部を上第二大場川、下流部を下第二大場川という場合もある。江戸期に農業用水路として整備されてきたのだろうが、現在では中川と江戸川に挟まれた三郷市の低湿地の排水路である。

閘門橋に近い方が「二郷半領不動堀樋」。「不動堀」とは第二大場川のこと。『きまぐれ旅写真館>二郷半領不動堀樋』によれば、「逆流防止用として建設された樋管」で「1914(大正3)年4月1日に着工し、同年5月30日に竣工している」。



二郷半領用水逃樋。三郷市戸ヶ崎。2003(平成15)年11月26日

二郷半領不動堀樋のすぐ北にあるのが「二郷半領用水逃樋」。『きまぐれ旅写真館>二郷半領用水逃樋』によれば、「逃樋(にげひ)とは余水吐(よすいばき)のことで、メインとなる施設に併設され、緊急時あるいは保守点検時に通水を行うためのもの」。「二郷半領用水」は第二大場川に入ってくるので、二郷半領用水路が増水した場合の放流施設である。1912(明治45)年1月12日起工し、同年3月31日の竣工。建設時には石造りの親柱と鋳鉄製の欄干が設けられていたという。