港橋。静岡県伊東市渚町。左:2015(平成27)年5月29日、右:同年1月18日

港橋を渡しているのは、いちょう通りと海岸沿いの国道135号を結ぶ道路で、国道から入ってすぐのところ。橋の欄干に「唐人川通り」の表示板が貼られているから、そういう名前の通りだと知れる。唐人川がまさに港橋の下の川である。ごく小さい川で幅は乗用車1台分くらい。下水の掘割のように見える。橋の辺りでは北へながれてすぐ、国道の渚橋の下で伊東大川(松川)に注いでいる。
橋の欄干がアーチ橋をかたどっている。子供が渡って遊ぶのにはよさそうで、手すりがつく前には川面に落ちて笑われた子供もいたかもしれない。橋につけられた銘板では「昭和三十一年八月竣工」と読める。

唐人川のいわれが気になるが定説はないらしい。この小さな川が伊東市の歴史に2回登場する。ひとつは、ウイリアム・アダムス=三浦按針が1605年に様式帆船を建造したのが松川河口の唐人川合流地点だったということ。もうひとつは、国の天然記念物に指定された浄ノ池の水が唐人川に流れていたことだ。浄ノ池で見られた、海水域に生息するはずの南方系の魚は、唐人川をさかのぼってきて、そこにすみついてしまったのである。1982年(昭和57年)に天然記念物の指定は解除され、池は埋め立てられてしまった。1958(昭和33)年の狩野川台風による被害、温泉の湧出が止まったことによる環境の変化で異魚がいなくなったことが理由とされる(ウィキペディア>浄ノ池特有魚類生息地)。

 
港橋。左:2015(平成27)年5月29日、右:同年1月18日