鈴蘭荘。墨田区墨田3-7。左:2009(平成21)年3月29日、右:2008(平成20)年12月6日

玉の井本通りにあった玉の井のカフェーだった頃の外観をよくとどめた一軒として、サイトでよく取り上げられている建物だ。2013年には取り壊されて、今は住宅に建て替えられている。『玉ノ井 色街の社会と暮らし』(日比恒明著、2010年、2800円)の「昭和28年頃のカフェー街」の地図では、「第二ナンバーナイン」で、「 ナンバーナイン」が花園通りにあった。「鈴蘭荘」は1968年の住宅地図から。


 
左:関口食品店、右:喫茶ナナ。墨田3-7。2013(平成25)年4月5日

鈴蘭荘の隣だが鈴蘭荘は取り壊されて側面が見えている。ベランダがあるのでカフェーだった面影が感じられる。店名は1985年の住宅地図から。その地図では鈴蘭荘は「野沢クリーニング」だ。「昭和28年頃のカフェー街」の地図では、「花園」で、喫茶ナナとした石張りの壁の家が「弁天」。その家も今は住宅に建て替えられた。
これらのカフェーは赤線廃止後はバーなどに転業したようで、1968年の住宅地図には「バーパリ―、コーヒーナナ、バーリウ」の記載になっている。

 

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Unknown (キューピー)
2019-02-25 18:04:48
バーパリーの反対側にはバーロンドンという店があり、いずれも同じ経営者だった。町内では両側にあることから「ロンパリ」と呼んでいた。ナナはカフェーの経営者が赤線廃止後に転出したので、反対側に住んでいた人が買収して喫茶店に転業したもの。カフェーの多くが飲み屋に転業した中で、最初から喫茶店に転業した珍しい人だった。

 

>キューピー様 (流一)
2019-02-26 16:04:03
なるほど、ロンドンとパリ。気が利いた命名のような、ごく安易なような。
カフェーから喫茶店に転業というのはまれな例、というのは貴重な証言です。経営者が夜遅くまで働きたくない、という人だった?

 

Unknown (キューピー)
2019-02-27 10:16:12
カフェーの多くは飲み屋か居酒屋に転業したようですが、この経営者は酒を出さずに喫茶店に転業したようです。経営者の趣向かもしれませんが、飲み屋に出かける酔客相手に軽食を出していたのでそれなりに繁盛したようです。当時は喫茶店でコーヒーを楽しむという社会の余裕があったからでしょう。また、玉の井では住宅が狭く、客を自宅に上げられないため、喫茶店を利用したのかもしれません。