
憩。墨田区墨田3-12。2013(平成25)年4月5日
玉の井が赤線街だった頃は「本通り」の名称があった通りの中ほどの角の家。写真右側は本通りから北へ入る路地で、「銀座通り」といった。銀座通りの左右の家は、昭和22年の航空写真に写っていて、戦前の建物としていいのかもしれない。
『玉ノ井 色街の社会と暮らし』(日比恒明著、2010年、2800円)の「昭和28年頃のカフェー街」の地図では、写真の家は「憩」というカフェーだ。また、『赤線跡を歩く』(木村聡、ちくま文庫、2002年)の「不動産屋とお好み焼屋のある路地」の写真の家と思われる。その写真では角の入口は左右にタイルを張った円柱で飾られており、左右に開くドアの入口の欄間に「土地建物売買管理」の看板がある。

左:出桁造りの家。墨田3-12。2013(平成25)年4月5日
右:九十九。墨田3-12。2008(平成20)年12月6日
左写真は本通りにある出桁造りの家。1枚目写真の左端に写っている。たぶん戦前築の家で、この辺りでは古い日本家屋と分かる外観を残した家はほとんど見かけない。
右写真は銀座通りから南の本通りの方を撮ったもの。『玉ノ井 色街の社会と暮らし』によると、「赤線時代の玉の井ではここが一番の繁華街」だった。50m足らずの路地の左右に19軒のカフェーが立ち並んでいたという。「昭和28年頃のカフェー街」の地図では、写真左奥から「憩、三恵、美よし、マサミ、タンゴ、天竜、サロン山田」となるが、写真の家と対応させるのは困難だ。写真の奥に見える紺の日よけが「九十九」という飲み屋で、『赤線跡を歩く』の写真では「お好焼/美好」の看板が写っている家らしい。カフェーだったときの店名を引き継いだのだろう。九十九から緑のタイル張りの庇の家までは三軒長屋になるしい。
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