
柳原水閘
千葉県松戸市下矢切(しもやきり)1397
1983(昭和58)年2月
まだ現役で坂川の水を江戸川に流していた頃の柳原水閘(やなぎはらすいこう)の写真である。左の写真は上に下流側がわずかに写っている。上の上流側の写真も左側が欠けてしまっている。柳原配水場の完成によって、古い水門を残すために親水広場に整備される前の水閘の写真はネットではめったに出ない貴重な写真だと思うが、撮り方がちょっと残念。
坂川は江戸川からの水が逆流して、よく水田に冠水した。その対策として合流部を江戸川の下流へ付け替えて、現在地に樋門を造ったのが1836(天保7)年という。それを1904(明治37)年に煉瓦造で造り直したのが柳原水閘ということになるらしい。
『土木学会選奨土木遺産>柳原水閘』によると、起工=1903年11月、竣工=1904年4月、工事費=約1万9千円。水閘の上流側左の壁に銘板がはまっていて、設計者の井上次郎とともに9人の名前が刻まれている。その中に「八木原五右衛門」があるが、「松戸市の治水事業に多大な貢献をした」人で井上の叔父にあたり、この人が井上に設計を頼んだのだろうと推定している。


柳原水閘。2003(平成15)年12月7日
柳原水閘の横に柳原水門が完成したのが1989(平成1)。「1994(平成6)年3月、国分川分水路のトンネル通水を期に現役を退く」(『日本の土木遺産』(土木学会編、講談社ブルーバックス、2012年、1000円)ということだ。国分川は市川市北部を流れて真間川に合流する川で、流域の宅地化によって氾濫するようになり、さばけない水を松戸市の台地を掘りぬいて坂川に流すためにトンネルを掘ったのである。工事中の1991年9月19日、台風の大雨でトンネルに水が流れ込み、作業中の7人が死亡するという事件があった。
レンガ造の水門は1995年に松戸市指定文化財に指定された。2004年100周年記念式典とともに土木学会選奨土木遺産に認定され、2007年には経済産業省によって近代化産業遺産に認定された。上の写真の撮影時にはまだ土木学会と近代化遺産の認定証の碑はない。