クリーニング明光。江東区福住1-3。1992(平成4)年3月20日

葛西橋通りから北へ入った三叉路の辺りで、写真左のビルがその角に建っている。空襲で焼失しなかった地区ではよく見かける看板建築の商店長屋である。「Mito」は喫茶店かと思ったが、ドアの右の字を読んでみたら「デザインパーマ&カットハウス」だった。現在は取り壊されて駐車場になっている。

下の写真の民家は明光の長屋のはす向かいで、建物は今もある。黒く塗った門に「福住剣友会」の看板が架かっている。奥に平屋の建物が写っているが、道場なのだろうか。『福住剣友会』によると、昭和27年に創設された歴史のある道場で、今までに千人からの門人を排出したという。野球の松坂大輔は5歳で入門、小3のときに第一回赤胴大会で優勝したそうだ。
現在の地図では「㈱和塾」と記されていて、建物も新築かと見えるほどにきれいに修復されている。


福住剣友会。福住1-13。1992(平成4)年3月20日

写真の辺りから近い葛西橋通りの南側は、1931年まで深川黒江町で、伊能忠敬が住んでいたところ。『改定東京風土図 城北・城東編』(サンケイ新聞社編、社会思想社―教養文庫、昭和41年)には「佐賀町のつぎの都電停留所、永代二丁目付近は、昭和のはじめまで、魚貝市場が夕方だけ開かれて黒江町の夕河岸(ゆうがし)と呼ばれて、生きのいいシャコやカニを売っていた。」とある。また、伊能忠敬のほかにも新井白石が佐賀町に、間宮林蔵が永代一丁目に、書家の三井親和、画家の英一蝶(はなぶさいっちょう)などは福住町に住んでいた、ともある。
「黒江町の夕河岸」というのはかなり言い習わせた言葉らしく、『有峰書店新社ARIMINE>永代二丁目交差点、幻の「夕河岸」の痕跡を追う』というサイトがある。タイトル通りの内容で、そこに大震災前の魚貝市場をとらえた写真が『深川区史』から転載されている。葛西橋通りを市電が走り、黒江町側の大通り沿いに魚貝を売る露店が並んだようだ。
永井荷風の『深川の唄』(明治42年発表)では小説の主人公が明治30年代の永代橋近くの深川を懐古している。小説の最後で主人公は西に見える台地に沈む夕日を悲壮な思いで見つめるのだが、これも「黒江町の夕河岸」だろうか。
『探偵大杉栄の正月』(典厩五郎著、早川書房、2003年、1800円)は明治44年の話で、金がほしくて探偵を引き受けたアナーキストの大杉栄が調査のため黒江町に出向く。「深川線の黒江町で市電を降りると……土蔵造りや塗屋造りの商店。凝りに凝った問屋格子や丸太格子。一歩路地へ入ると、板葺屋根に黒板塀の町屋が続く。まるで江戸時代へさ迷いこんだような気分だ」というのが関東大震災前の町の様子である。