横山家住宅。足立区千住4-28。1999(平成11)年5月1日

宿場通り商店街(サンロード)となっている旧日光街道に面して建っている地漉紙(じすきがみ)問屋だった商家である。写真右へ入る横丁は、そこを入ると長円寺に突き当たるが、その参道の入口だった。横山家の左隣に、今は取り壊されてコインパークになったが、出桁造の家、「嘉砂厨房工業」が写っている。
地漉紙とは古紙を漉き返して作ったちり紙のことで、一般には浅草紙(あさくさがみ)といった。江戸時代後期には千住宿の北、本木・関原・梅田あたりが地漉紙の産地の中心で、江戸市中の需要の大半を生産した。昭和初期まで農家の副業として、各種用途の地漉紙が生産されていた( 『紙への道>コラム>66.浅草紙、江戸から昭和の再生ちり紙について』参照)。「松屋」の屋号で江戸時代から続けてきた横山家の商売は、戦後に廃業した。
松屋は伝馬(てんま)の用も引き受けていた。「宿場町の名残として、伝馬屋敷の面影を今に伝える・・・戸口は、一段下げて造るのが特徴・・・」と足立区教育委員会の説明版にある。



横山家住宅。1999(平成11)年5月1日

建物の特徴を『東京都の近代和風建築―東京都近代和風建築総合調査報告書―』(編集:東京都教育庁地域教育支援部管理課、2009年発行)から、以下にまとめてみた。
街道に面した見世と、その奥にあって外からは見えない主屋とは万延元年(1860)8月の建築。見世は「木造2階建の切妻造・平入り、桟瓦葺で、南側の屋根を寄棟造とする。正面と南側面には、奥行半間の土庇を付け、2階に格子の出窓と出し桁を回す。主屋は、木造2階建切妻造の桟瓦葺」。北側の「間口2間の下家」は昭和11年に増築した部分らしい。
横丁に見えている土蔵は明治9年(1876)6月に造られた外蔵。
天保元年3月建立の内蔵があったが、平成5年に千住河原町へ解体移築され「千住宿歴史プチテラス」になった。


 
近影
上:2007(平成19)年1月27日
左:2012(平成24)年1月15日