西岡本家。足立区千住5-18。1988(昭和63)年12月11日

旧日光街道と板垣道路(千住新橋南、高架の国道4号の下に出る)との交差点は大きく隅切りがされていて、ほとんど広場のようになっている。写真の家並みはその交差点の北の隅切り部分で、現在では2棟の古い出桁造りの家はビルに建て替わっている。
写真左の出桁造りの家は現在、「溜屋(たまりや)近藤葬祭株式会社」の事務所ビルに替わった。その右の家は撮影時の住宅地図では「西岡本家」。なんの商売だかは分からない。



安田精肉店。千住5-15。1988(昭和63)年12月11日

前の通りは通称板垣道路という1942(昭和17)年に完成した通り。安田精肉店はその道路に正面を向けているから、建物もその時期のものなのだろうか。普通に見れば昭和初期の建築と見える。現在は改装されて瓦屋根ではなくなってしまったので、見た感じも変わってしまった。1階右側の木の枠のガラス戸は残っている。

 

コメント

 

文章を差換え (流一)
2012-07-14 20:14:23
1枚目写真の解説文を差し替えました。念のため旧文章は以下の通りです。ちょっと勘違いしていました。
「近藤葬祭株式会社。足立区千住5-18。1988(昭和63)年12月11日
旧日光街道と板垣道路(千住新橋南、高架の国道4号の下に出る)との交差点は大きく隅切りがされていて、ほとんど広場のようになっている。写真の家並みはその交差点の北の隅切り部分で、現在では2棟の古い出桁造りの家はビルに建て替わっている。
写真右の家が「溜屋(たまりや) 近藤葬祭株式会社」。そのHPによると、元々は1706(寛永2)年に綾瀬の近藤家から分離して薬問屋として開業した。1706(寛永2)年の洪水のとき、屋根瓦に鳳凰が舞い降りたので、水の溜りの屋根にかかったということで「溜屋」を屋号にした。なんともありがたい伝説である。以降、桶・神仏具の商売に転向したとか。葬儀社になったのは明治以降という。」
近藤葬儀社は昔から北千住郵便局と絵馬屋の間にあったようで、セレモニーホール嘉正会館となる前の建物が写っている写真もありますので、「伝説」の文章はそこで再使用しようと思います。