
金町屋。足立区千住5-23
上:1988(昭和63)年12月11日
左:1999(平成11)年5月1日
北千住駅から旧日光街道に出て、その商店街を北へいくと荒川の堤防に突き当たる。その手前に骨接ぎで有名な名倉医院がある。旧千住宿の北のはずれといったところだ。金町屋はその数軒南にあった。名倉医院には入院できる病室はなく、必要な患者は門前にあった専門の宿屋がその代わりになっていた。金町屋は5軒あった宿屋のうちの1軒で、建物はつい最近まで残っていた。
『下町残照』(村岡秀男著、朝日新聞社、1988年、1500円)に、名倉医院の医師だった荒木正太郎氏の談が載っている。氏は大正13年から50年間、医師として務めている。それによると、「外来が多い日で400人くらい、そこへもってきて、すぐ表に萬屋、成屋(成田屋?)、金町屋、大原屋、柳屋という5軒の宿屋があって、そこが入院病棟がわりで、200人近い患者がいて、外来が終わると往診にいく」という具合で、それを医師3人と助手4人でこなしたという。「宿屋のあるじは、骨接ぎの免状を警視庁からもらって助手を務めており、金町屋の平尾という人は医師の資格を持っていた」。宿屋は元々は街道沿いの一膳飯屋などが転業したものらしい。健康保険制度が普及してくると患者は病院へ行くから宿屋はなくなった。
『 千住まち歩き>金町屋 』では、「加療宿屋」という言葉を使っている。
金町屋があった場所は現在「ステッラ・ポラーレ」という小さいマンションになっている。その裏手に金町屋の蔵が残っているようで、住居として使われているらしい。