旧伊勢屋質店。文京区本郷5-9。1989(平成1)年5月5日

樋口一葉が通った質屋として菊坂にはなくてはならない建物だろう。平成15年に国登録有形文化財になったので取り壊されることはなさそうだが、この建物がないと菊坂という地名も危うくなる感じがする。
文化庁の 『国指定文化財等データベース』によると、旧伊勢屋質店は「見世」「座敷棟」「土蔵」の3棟で構成されている。店ではなく見世と表記する理由が分らないが―古文書にあった文言だろうか―その見世は通りに面した出桁造りの建物。「棟札より明治40年4月の上棟であることが知られ、施主、大工名(平野千代吉)も判明している。・・・開口部に格子を設ける意匠、階高の高い二階部など、明治時代の町屋の姿をよく表している」ということだ。
座敷棟は奥にある平屋の建物らしい。1890(明治23)年に建てられている。「・・・八畳の座敷を中心に東南二方に縁を廻し、さらに南側には中庭を設ける。狭小な敷地の中で二方を中庭と庭に開いて眺望を確保するなど町屋に設けられる座敷の特徴を余すことなく備えている」と解説されている。
土蔵は「売渡証から、(明治初期に建てられたものを)明治20年に現在の足立区鹿浜(当時の南足立郡鹿浜村)より移築された」もの。樋口一葉が菊坂町に移ってきたのは明治23年9月、18歳のときで、その当時からすでに伊勢屋の土蔵は建っていたわけだ。
質屋の商売は1982(昭和57)年に廃業している。一葉忌の日に内部が一般公開される。『東京DOWNTOWN STREET 1980’s> 一葉忌~旧伊勢屋質店公開(2011.11.23)』で昨年の公開の模様がレポートされている。



八百金。本郷5-9。1989(平成1)年5月5日

旧伊勢屋質店の隣にあった八百屋。今は取り壊されて駐車場になっている。旧質屋の隣といっても、間に細い路地が奥へ入っている。菊坂通りには何本か、北へ入って台地の崖やその手前の建物で行き止まりになる路地がある。入ってみたくてしかたがないのだが、怪しまれるのではないかと余計な心配をして実行できない。
八百金の建物は平屋の長屋のようだ。どうせなら店が営業中の写真を撮るべきだったが、機会はあったはずなのに撮るのを忘れてしまったらしい。
『Kai-Wai散策』という有名なブログの 『日暮れ時の菊坂(2005.01.22)』『菊坂の風景になった青果店(2004.06.13)』および 『夕暮れて菊坂(2004.10.21)』で営業中の店の写真を見ることができる。その写真では看板が「比留間青果店」に替わっている。比留間青果店の屋号が八百金なのだろう。
建物が取り壊されたのは2006年6月のことで、やはり『Kai-Wai散策』の 『比留間青果店(2006.06.18)』で、記事にされている。