三菱倉庫京浜支店西棟。横浜市中区海岸通2。1987(昭和62)年8月(2枚とも)

当ブログ前回の事務所棟を真ん中に置いて、倉庫が2棟建っていた。上の写真の西棟(ぼくがかってに付けた)は『総覧』の「三菱倉庫京浜支店、中区海岸通2-4、昭和4年、構造=RC4、設計=三菱倉庫建築課、施工=大林組、地下1階」に当たるのだと思う。
前回でも紹介した 『みんなでつくる横濱写真アルバム>kaigandori』にはこの倉庫の写真が、屋上の写真も含めて5枚掲載されている。運河の方からの写真もあって倉庫の全体の外観が判る。昭和30年頃に撮影された海岸通りからの写真では「進駐軍に接収されてボウリング場として利用されている倉庫。反対側は郵便局」というキャプションがあって、コカコーラと「BOWLING CENTE」の看板がかかっていて、壁の上端には「THE BASE POST OFFICE」の字が書かれている。大きな倉庫をこの二つで占領したとは思えないので、倉庫の一部を使っていたのだろう。



三菱倉庫京浜支店西棟

当ブログ前回の事務所棟は倉庫東棟の南西の角を切り取るようにしてはまり込んでいる。「kaigandori」の写真では倉庫本体は2階建てくらいに見え、海岸通りに面した写真の3階建てのビルは倉庫の事務室を入れているらしい。
「kaigandori」の写真に、倉庫の運河に面した荷揚場でSLが煙を吐いている写真がある。この線路は横浜税関の裏から新港橋の道路を横切っていったん 東西上屋倉庫に入り、切り替えして現在の汽車道へと入っていった。

 

コメント

 

Unknown (Design_walker )
2011-03-02 22:43:40
昭和初期のRCのこれだけの規模の倉庫とは見応えがありますね。近くにある明治や大正の倉庫ほど重厚ではなく、日本郵船海岸通倉庫ほどモダンでは無い昭和初期らしい建物ですね。ボウリング場があったとはまた興味深いお話です。

 

>Design_walker (流一)
2011-03-05 17:41:12
港と倉庫は付物でしたが、コンテナ輸送になって変わったのでしょうね。荷物を倉庫ごとはこんでいるようなものですから置き場所があればいい。明治の赤レンガ倉庫、大正の養蚕倉庫は残しました。積荷の上げ下ろしに活躍した艀がまだ残っているのなら、これも保存しておきたいものです。