
中央区立有馬小学校。中央区日本橋蛎殻町2-10。1985(昭和60)年10月10日
現在は写真の校舎の後ろの北側、かつて浜町川があったほうに蛎殻町公園があって、そこに改築された。変わって写真の側は公園と校庭になっている。
有馬小学校は1873(明治6)年に旧久留米藩主の有馬頼咸(よりしげ)の寄付を元に開設され、翌年に公立有馬小学校として開校している。
谷崎潤一郎が明治44年に発表した『少年』は「もう彼れ此れ二十年ばかりも前にならう。漸く私が十ぐらゐで、蠣殻町二丁目の家から水天宮裏の有馬学校へ通つて居た時分――人形町通りの空が霞んで」と、現在でも通用する背景の描写で始まる。谷崎の誕生の地は人形町1丁目にあるが、執筆当時はそこが蛎殻町2丁目のうちになり、水天宮と有馬小は蛎殻町3丁目だった。その当時の有馬小学校の位置は今の新大橋通り沿いである。
有馬小と同じ蛎殻町2丁目にある水天宮は有馬家の上屋敷(港区芝赤羽)にあったものを1872(明治5)年に蛎殻町の中屋敷に移したものという。
有馬頼咸の孫に有馬頼寧(よりやす)という人がいる。競馬の有馬記念は中央競馬会理事長だった彼の功績を称えての名称だ。馬券を買う前に水天宮にお参りしておくと御利益があるかもしれない。
写真の校舎は1927(昭和2)年の完成、設計:東京市、施工:大倉土木。改築された校舎は1987(昭和62)年に完成している。それまではこの校舎が使われていたようだ。

中央区立有馬中学校1960(昭和35)年卒業アルバムより
1枚目の写真は校舎が写っているだけという写真である。どうせならもう少し近づいて撮ればよかったが今更どうしようもない。ぼくは中学3年で有馬小学校と同じ校舎にあった有馬中学に転校してそこを卒業した。卒業アルバムを持っているので、それに載っている写真を掲載する。ちなみにこの年の卒業生は130人。
有馬中学は1908(明治41)年に設置された「日本橋高等小学校」が始まりらしい。写真の玄関は中学校のもので、同じ正面左のほうに同じ造りで小学校の玄関がある。煙突が何本もならんでいるがダルマストーブのもの。
卒業した後のことはよく知らないのでネットで調べてみた。有馬中学は1962(昭和37)年には浜町中学と統合して日本橋中学になる。ぼくが卒業してわずか2年後には有馬中学はなくなっていた。1974(昭和49)年にはさらに久松中学と紅葉川中学と一緒になり第4中学になった。1991(平成3)に校名変更して現在の日本橋中学になったという経過である。
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