浄名院横の民家。台東区上野桜木2-8。1991(平成3)年9月23日(写真の日付はカメラのセットミス)

浄名院(じょうみょういん)は言問通りの谷中霊園への入口の脇にある寺。地蔵が4万体くらい並べてあることで有名な寺だ。ぼくはいまだに境内へ踏み込んだことがない。
写真の民家は浄名院の西側の塀に沿った道路にあった民家。
上野公園のすぐ裏にこれだけの家を建てるのは今ならすごいことだが、古い航空写真を見ると、周辺では標準的なものだったようだ。


民家
1990(平成2)年2月18日

どこで撮った写真か分からなくなっていたが、裾を石張りにした塀は1枚目の写真の塀と同じだ。それなら同じ家かといったんは安心したのだが、その家は道路に面する角はひとつだけのはずだ。塀もよく見るとモルタルと石の割合が少し異なるようだ。というわけで、再びどこの家だか分からなくなった。上野桜木2丁目だとは思うのだが……。

 

 

 

 

 

コメント

 

Unknown (雷鳥見たい)
2010-04-07 15:14:53
こちらにいらしたということは、パティスリーイナムラに通じる道が有りましたよね?角に台東倉庫株式会社の駐車場があったと思うのですが。敷地内のおんぼろ建物が京成電鉄の旧寛永寺坂下の駅舎だったの知ってました?国旗掲揚台まであってびっくり!昭和16年12月8日、紀元2600年記念って、阿部定が出所した年じゃない!一時期谷中に阿部定が住んでいたそうだし。もしかしたら、駅を利用したことあったりして。

 

>雷鳥見たい様 (流一)
2010-04-08 09:50:51
もう20年は前のことで細かいことは忘れましたが、古い地図に「寛永寺坂」駅が書いてあったのを見て、痕跡でもあるかと、あの辺りを見回したことがあります。その後ネットで平屋の倉庫がそれだと知ったのですが。
阿部定が出てくるとは! 雷鳥見たいさんはもしかして、かなりの御年配?

 

Unknown (雷鳥見たい)
2010-04-08 16:21:09
実は、アラフォーですよ。阿部定については色々な本を読んでいまして、いつの間にか詳しくなってしまいました。たまたま寛永寺坂駅の跡を見に行って、国旗掲揚台を見た時、この年は確か・・・と頭に浮かんだわけです。補足として、紀元2600年記念の祝賀があったので、恩赦により阿部定は早く出所できました。
http://gxc.google.com/gwt/x?client=ms-kddi-jp&ct=pg1&ei=lb46S-HXCIfavAPXjKjEDw&u=http%3A%2F%2Fgray.ap.teacup.com/pxc07374/82.html&whp=30&wsc=ti&wsi=c54c5f7c2d1e098a

 

この角の家 (なぁ)
2010-07-22 21:16:03
私の祖母さんが建てた家です。
亡くなってから私が住まってました。
その後立て替えて今は石屋に売ってしまいましたけど。場所は寛永寺の通用門のところで、幼稚園の裏口に突き当たる路地の角です。

 

>なぁ様 (流一)
2010-07-23 14:33:07
以前住んでおられた方から情報をいただけるとは、恐縮です。
浄妙院に近いにしても寛永寺の方だったのですね。住所は「上野桜木1-14」と判明しました。
今、Googleマップで見ると、この辺りに、20年前にはいくつかあったと思われる古い住宅はほとんど建て替わってしまったようですね。