武蔵屋酒店。台東区浅草橋5-19。1988(昭和63)年12月31日

前の通りは都立忍岡高校の北側の通りで、写真左手に浅草教会がある。看板建築の商店長屋で、まったく同じ四軒長屋が2棟並んで建っていた。写真では壁面や戸袋が白く飛んでしまっているが、下の写真のように薄い茶色である。
現在は「ムサシノコート浅草橋」という1995年2月竣工のマンションになっている。



タマオキ薬局。浅草橋5-19。1988(昭和63)年4月10日

1枚目の写真の左側(西側)の棟。

 

コメント

 

私の実家のすぐ近所です (とし)
2011-08-16 03:32:46
武蔵屋酒店は私の子供のころ新規開店した記憶があるので、お店自体は昭和40年代に開店したと思います。

タマオキ薬局は、老夫婦がやっていて、私の子供のころ薬を買いに行くと、いつも「はい、お駄賃」といって、ガムなどをくれました。

おじいさんが亡くなって、おばあさん一人で頑張っていましたが、ある日「子供の住む草加に引っ越します」と言って、いなくなりました。とても優しいおばあちゃんだったので、寂しかったのを覚えています。

タマオキ薬局の並びに昭和36年生まれの私の小学校の同級のお嬢さんの家があり、とても勉強のできるお嬢さんでした。
小学校時代は私の家に雑誌を読みに来ていました。

 

 

 

>とし様 (流一)
2011-08-18 13:10:00
写真だけでは、昔はこういう建物があった、ということで終わってしまいます。それでかまわないようなものですが、そこで暮らしていた人のことが出てくると、写真にも歴史的な深みが増すようなきがします。
子供の頃新規開店した武蔵屋酒店
ご主人を亡くされても薬局を続けていた子供に優しいおかみさんは、ある日、草加に住む子供のもとへ・・・
1986年の住宅地図では、長屋の記載は以下のようになっていました。
「タマオキ、加藤、並木、砂村」「アヴァン、武政、松木、武蔵屋」

 

 

 

補足ありがとうございます (とし)
2011-08-19 00:49:11
住宅地図の補足、ありがとうございます。
懐かしい同級生の名前、町内会長さんのお名前を懐かしく思い出しました。
別の町内ですが、同じような長屋の友達の家に遊びに行ったところ、同級生同士が隣同士で住んでいました。薄い壁1枚、穴を開けてあって、隣同士その穴越しに話をしたのを思い出しました。
悪いこと、できないですね。
その友人、いまでもその地で床屋さんをやっています。