ナグスビル。東京都中央区東日本橋1-1。1986(昭和61)年7月6日

前の通りは清洲橋通りだが、この辺りでは写真で右方向(清洲橋方向)への一方通行だ。ビルの右の空地は宮田医院の跡。宮田医院は、昭和30年頃は裏通りまでの敷地があり、地図には「宮田外科医院」と表示されている。戦前は「宮田病院」。
この辺りの旧町名は村松町。
 

左:二興商会。東日本橋3-5。2004(平成16)年2月7日
右:帝莫があった頃。1987(昭和62)年4月5日

前の道路は西通りという名前がついている。浜町川の東側に沿う道だった。東日本橋3丁目の南側は旧町名では橘町。
メリヤスは「莫大小」とも書く。帝莫は、本当は帝国莫大小なのかもしれない。

 

コメント

 

親父の元勤務先 (息子)
2023-11-29 00:27:38
私の亡き親父が、かつて勤めていた会社です。
「帝莫」Rising(ライジング)というブランド名も保持しておりました。
親父は昭和24年入社だった思います。
小学生の頃、時々遊びに行ったものです。
懐かしい!偶然にもこのブログに辿り着き感動しております。有り難うございます。
今では影形も残っておりませんが、唯一交番のみですね残存しているのは。確か目鼻先にメチャクチャ美味しいきし麺の立ち食いそば店があったのも記憶しております。

 

 

 

>息子様 (流一)
2023-11-30 14:13:42
「メリヤス」という言葉を聞かなくなったと思ったら「ニット」に替わってきたようですね。
帝莫の建物は『日本近代建築総覧』という文献に「建築名=メリヤスK.K.、東日本橋3-6、建築年=昭和2~3年、構造=3階建」で載っています。写真では4階があるように見えますが増築したのでしょうか?
昭和9年の火保図には、日本橋区橘町10の住所で「笹島」となっているので、帝莫株式会社の創立は戦後のことかと想像しますが、お分かりでしょうか? メリヤス製品の製造元かと思いますが、どのような製品を扱っていたのでしょう?

 

 

 

Unknown (佐藤光行)
2024-12-23 17:42:09
日本橋橘町の帝莫のビル4階の倉庫を改装した部屋に昭和34年から39年まで当時私は母と2人で住んでいました。 私は苦学生で、ここから神田美土代町の東京電機大学高校に毎日通学していました。 二興商会は当帝莫ビルの2階でした。 両社の社長は兄弟だと記憶しています。
母はこの両社の若い、全員愛知県三河出身の社員の住込み賄婦兼社員でした。 社長さんはじめ皆さんから、それはもう沢山お世話になりました。 訳あって路頭に迷った私達を暖かく迎えてくれ、私も多感な高校生から言葉では表せないほどの恩を頂きました。 39年に電力会社に就職してここを去りました。 感謝しきれないほどありがたかったです。 屋上に私の趣味であるアマチュア無線のアンテナを設置させてくれました。 毎朝3年間、神田美土代町の東京電機大学・高校まで朝4時に帝莫を出て1時間歩いて学校に行き、用務員の仕事をしていました。 学校休みの時は帝莫でメリヤスやシャツなどの運搬、小売店への配送などのアルバイトもやっていました。 人生の1番大事な時期にこの帝莫で過ごせたこと、忘れません! 当時のことに関してさらに詳しくお話は出来ます。 ご質問下さい。

 

 

 

>佐藤様 (流一)
2024-12-25 10:31:34
佐藤様は私より年上のようですが、まあ同年代でしょうか。すでにお仕事も終えられてゆうゆうとなされているのでしょうか。「日本橋橘町」は昭和46年までの住所ですが、佐藤様が住んでいたときのものですね。東日本橋3丁目ではピンとこないかと思います。
今、帝莫のビルがどうなっているのか、ストリートビューを見たら、周りのビルなども含めてすでにマンション(2015年3月築、14階建52戸)に替わっていました。SVでは2010年では「二興商事」の看板が架かっていますね。
帝莫の建物は昭和初期の建築らしいのですが、なにかそのように古い特徴が残っていたでしょうか?「帝莫株式会社」ですが、事業の内容、創設・廃業の年はお分かりでしょうか?