西川隆光です。

 

今回の出雲大社への旅の総集編を書いてみます。

 

ところで、昨夜行いました

大国主命指導による

聖地遠隔ヒーリングですが、

787名の方にご参加いただきました!

感謝。。。

 

その遠隔ワークでお話しした

大国主命が稲佐の浜で授かった

光の玉正体について探っていこうと思います。

 

ここが、稲佐の浜↓

 

ここで、出雲の国の行く末に悩み、

天に願ったところ、

波の上に光の玉が現れ、

大いなる力を授けるとの

神示をいただくわけですが、

 

この際に出てきた光の玉の正体、、、

それが、分け御霊であり、

その名を「大物主神」あるいは

「大物主命」と名乗ったそうです。

 

この大物主命ですが、

これは、実は大国主命の過去世の一人、

私がよく言う所の「守護霊」に他なりません。

 

その存在と一体となり、

大いなる悟りを開きます。

 

ここから、出雲の国作りの伝説が始まるのです。

 

博物館に描かれている

出雲大社は昔、

100段以上の階段が設けられていて、

その方は100メートル近かったと

最近の研究でわかってきたそうです。

 

古代の出雲大社の本殿だけでも、

48メートル、15階立てのビルに相当する高さで、

さらにそこに遠方から階段が設けられていた

とわかってきています。

 

そう、縄文文化とも関係してきますが、

まだ、天孫降臨する前から、

この日本の文化の凄さがわかります。

 

失われた弥生時代400年の歴史にも関わる問題です。

 

そこを書くと長くなりそうなので、

話しを戻します。

 

 

こんな感じで、大国主命は、

大いなる光を授かります。

 

ちょっと中国っぽいですが、

私の垣間見えているこの頃の日本なのですが、

特に、この出雲の地は、大陸とつながっていた

と見えてくるのです。

 

宍道湖が逆に昔は海で、

出雲は大陸だった。

 

それを裏付けれる理由の一つに、

帰りのタクシーで面白い話しを聞きました。

 

日御碕神社というが近くにあるのですが、

ここの3代前の神殿は、海の中にある、

という話しです。

 

まだ、正式には認められていないそうですが、

あの辺の海を潜ると、神殿があるそうです。

 

だから、大陸移動があったと考えてもおかしくありません。

 

隆起した部分と、沈んだ部分があるのだと思います。

 

そうすると、壱岐の伝説なども合点な感じがしてくるのです。

 

お断りしておくと、

昨今の縄文やカタカムナ的なる

日本の都市伝説的なものには、

正直懐疑的で、興味はあまりありません。

 

しかし、霊的真実を伝えるという

私の使命からすると、こうした所は、

解明しておく必要があると感じているのです。

 

ここから、次回探っていきたいことは、

国譲りの物語の真意についてです。

 

ここの部分は、次回以降に譲ります笑

 

 

というわけで、八重垣神社に行ってきました!!!

 

ご縁の紙占いしてみました。

年頃の女性たちに混じって、

おっさんが、トライ!

 
池に紙を置き、文字が浮かんできました。
そこに10円を置き、近くで早く沈むほど良いとされています。
 
私は、まさに、近くで早く沈みました。
 
そして、文字が読み取れない・・・最後がわからない。
 
と、お茶目な行事で旅を締めくくりました笑
 
では、また。