京都通になれる雑学知識100 [Kyoto 45] | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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≪ 京都通になれる雑学知識

第 2 章
古都・京都にある寺社の謎!
- Kyoto 45 -
【 千 本 釈 迦 堂
阿亀さんの「機転」と
夫婦愛

妻は夫を助ける!
妻の名前は阿亀。
福々しいお顔とキレのある知恵の持ち主で、
夫を絶望の底から救った話が伝わる。
女は土壇場になると・・・
とてつもない強さを発揮するのである。



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名匠にして柱の寸法を誤った
棟梁高次の失態


千本釈迦堂は、
学問の神様・菅原道真を祀る北野天満宮の東側に
位置しています。
千本釈迦堂は、通称で
正式名称は「大報恩寺」と言います。
真言宗智山派に属する寺で、
鎌倉時代初期の
1227(安永元)年に創建されたものである。
境内に入って
正面に国宝の釈迦堂(本堂)があります。
この建物は、
京都が灰燼を帰した応仁の大乱の戦火から
奇跡的に免れたもので、
鎌倉時代の建物として貴重な建造物である。

さてと!
これより本題に入ります。
釈迦堂の建立には、
ある夫婦の逸話が伝説として残っています。
釈迦堂の手前、右手にふくよかな顔立ちの
「おかめ塚」があります。
阿亀は、
釈迦堂建立の責任者で
名匠の誉れ高い棟梁・長井飛騨守高次の奥さんである。

建立は順調に進んでいた!
そんな時、
高次の顔が青ざめる出来事が起きたのだ。
なんと!
釈迦堂を支える四本柱の1本を、
寸法を誤って短く切ってしまったのである。

今更、新しい柱を調達することは、
極めて難しい。

高次:「吾としたことが・・・どうすれば良いのか」

高次は悩みに悩んだはずだ!


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夫の苦悩を見かねた
妻・阿亀の起死回生の知恵


阿亀さんは、
夫の苦悩する姿を間近に見つつ、
見事なアイディアを思いついたのである。
思いついたことを早速、
夫に話しみたという。
そのアイディアとは・・・
短く切った柱を活かす逆転の発想だった。

阿亀:「あなた、他の3本の柱も同じように
      短く切って揃えたらどうでしょう。
柱の上には、
     枡組を置けば見栄えもするでしょう。」

とアドバイスを夫にした。
女房・阿亀の言葉に息を吹き返した高次は、
枡組によって、
見事に釈迦堂の完成をみたのである。

高次:「阿亀、ありがとう!」

と胸の中で呟いていたに違いない。

1227(安貞元)年12月26日、
上棟式の日。
晴れの日にもかかわらず、
高次の目には涙が零れていたという。
この日を待たず、
阿亀は自刃して果ててしまったのだ。

高次は、なせだぁ!と絶叫したはず。

自殺の理由は、
『女の知恵によって、
夫の棟梁としての責任を果たしたとあれば、
名匠の名を汚すでしょう』
というものだった。

阿亀は死しで夫の成功に感謝し、
自らを仏身に捧げたのだ。

高次は、
阿亀の顔に似せた福面を彫り、
扇御幣に飾りつけて、
阿亀の冥福を祈ったという。


☆千本釈迦堂とは・・・☆
大報恩寺
とは・・・
京都市上京区にある真言宗智山派の寺院。
山号は瑞応山。千本釈迦堂と通称される。
おかめの物語や、
12月の風物詩である大根焚きで知られる。
・ 所 在 地 ・
京都府京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町
・ 交 通 アクセス ・
京都駅前から市バス50系統に乗車し、29分
「上七軒」停下車、徒歩4分。
・ 拝 観 料 ・
境内拝観は自由
本堂及び霊宝館は、¥500
・ 拝 観 時 間 ・
9時00~16時30分迄
・ 拝 観 所 要 時 間 ・
約20分



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 龍虎 俊輔 
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