京都通になれる雑学知識100 [Kyoto 42] | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

歴史作家の龍虎俊輔本人によるブログ。

国内旅行、寺社仏閣、京都に関してを題材にして、
言いたい放題。+「☆本日はこんな日だ!☆」
「百鬼乙女関連記事」
一読したら、Facebookの「いいね」を押してね。
Twitterをやってる方は、ツイートしてね。

 

《 京都通になれる雑学知識

第 2 章
古都・京都にある寺社の謎
- Kyoto 42 -
【 鹿 苑 寺慈 照 寺
金閣を見つめる「陸舟の松」
黒漆仕上げの銀閣

北山と東山を代表とする古寺である金閣と銀閣。
京都の寺社の中でも大人気のスポットだ。
足利義満と孫の義政の求めたのは
「浄土の地」なのか? 「隠棲の地」なのか?
定かではないが、
華やかさと地味さの対照を見せてくれます!


■□■□■□■□■□■□■□■
金閣を映す鏡湖池は、
義満が描く浄土の世界!


金閣寺の正式名称は、北山鹿苑寺である。
金閣寺を建立したのは、
御存知の通り!
室町幕府第3代将軍である足利義満だ。
この義満の法号が「鹿苑院殿」であることから、
この正式名称が付けられているという。

義満は、
この地に「極楽浄土」の出現を思い描くように、
楼閣と苑池を整備した。
それが
金閣(舎利殿)と
その前に水面を光らせる鏡湖池である。

金閣は三層の建物である。
初層は、寝殿造で「放水院」といい、
足利義満像が安置されています。
2層は、武家造で「潮音洞」といい、
3層は、禅宗仏殿造で「究竟頂」と呼ばれ、
仏舎利が納められています。

鹿苑寺金閣(舎利殿)

上記の写真を見てみると、
1つの疑問が浮かびあがってくる。
そうです!
金箔の輝きがあるのは、
2層と3層で
初層には金箔が貼られていないんです!
池面によく金箔を映すための工夫なのだろうか?
初層に金箔が貼られていない理由は、
分かっていません。
創建当時のままの姿であることは、
間違いありませんよ!



そして、
さらに金閣をよく見てみると
意外なことが・・・
初層と2層の間に屋根が無いんです!
縁がめぐらされているだけで。
縁には高欄が付けられていますが、
これは・・・
義満の視点に配慮した造りなのでは?
推測されています。
どういうことかというと・・・
義満が縁を巡りながら、
金色の上層を見上げる仕掛けであり、
建物自体の軽快さを演出する意図があったのではと
思いますが。
真相は定かではありません。



義満は金閣の東側、
夜泊石のある船着き場から鏡湖池に舟を漕ぎ出し、
金色に揺らめく池に浄土の世界を思い描いたという説が
残っています。
その義満と金閣を慕うかのように、
今にも帆ほ上げて船出しそうな松があります。
方丈の北、書院との間に見える
「陸舟の松」のことである。




■□■□■□■□■□■□■□■
金閣を見つつ樹齢を重ねる
陸舟の松



陸舟の松は、
義満が盆栽から育て、植栽した五葉松である。
帆を満々と張っているように見えます。
樹齢は、推定600年!
残念ながら、正確な樹齢は分かっていません。
大原の宝泉院にある「近江富士」と呼ばれる松、
落西・善峯寺の「遊龍の松」と並び、
京都三松の1つに数えられています。


■□■□■□■□■□■□■□■
銀閣は銀ではなく、
黒漆が施されていた!



銀閣寺の正式名称は、東山慈照寺である。
建立したのは、
足利義満の孫で、
室町幕府第8代将軍・足利義政だ。
慈照寺という名は、
義政の法号である「慈照院殿」から
付けてられているという。
銀閣(観音殿)は、
金閣の三層楼に対して、2層の建物である。
下層は、書院造で「心空殿」と呼ばれ、
上層は、禅宗の仏殿様式で「潮音閣」と呼ばれいます。
こじんまりとしていますが、
宝形造と言われる屋根が特徴的だ。
この造りには、
屋根の四隅から伸び上がる棟が、
頂上で1つにまとまっている造りをいう。
屋根は柿葺・金銅製の鳳凰がのっています。
義政は、この東山の地に隠棲を考え、
銀閣を建立した。

金閣に対抗するように銀箔で輝かせたかったのか?
義政の本心は分からない。
銀閣が完成したのは、義政の死後だから。
ただ、
近年の観音伝の修復工事で判明したことがあった。
銀閣の内部も外部も黒漆が施されていたことだ。
これだけの建物に黒漆を使用したとなれば、
莫大な建築費が必要だったはず。
となれば・・・
銀箔を貼る費用が無かったのかもしれない。
銀が塗られていなかったのは、事実だ!
1つ言えることは
金閣のように派手さは無かったが、
黒漆の重厚感はあったのだろうと想像できる。
だが、
銀閣の前にある向月台、銀沙灘に月光が当たると、
その月光が砂盛りに反射して、
銀閣に差し込み、
正しく銀色に輝いた瞬間が見ることが出来るようです。
実際に見ることは出来ませんよ!
拝観時間外のことなので。



☆金閣寺とは・・・☆
鹿苑寺
とは・・・
京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺。
建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣
舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺として知られる。
相国寺の山外塔頭寺院である。
寺名は開基(創設者)である
室町幕府3代将軍足利義満の法号・鹿苑院殿にちなむ。
山号は北山。寺紋は五七桐。
義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。
舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築であったが、
1950(昭和25)年に放火により焼失し、
1955(昭和30)年に再建された。
1994(平成6)年にユネスコの世界遺産(文化遺産)
「古都京都の文化財」の構成資産に登録されている。

☆銀閣寺とは・・・☆
慈照寺とは・・・
京都府京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院。
相国寺の境外塔頭である。
室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。
足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して
造営した楼閣建築である観音殿は銀閣
観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる。
「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
山号は東山
開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、
開山は夢窓疎石とされている。

-Wikipediaより抜粋-


※※※※※※※※※※※
 龍虎 俊輔 
※※※※※※※※※※※