京都通になれる雑学知識100 [Kyoto 34] | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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《 京都通になれる雑学知識100 》

第2章
古都・京都にある寺社の謎

- Kyoto 34 -
【 五 条 寺 町 】
「京の世継さん」と長宗我部盛親の墓

五条通から六条通にかけて、
富小路通沿いには小さいながらも
見るべき寺がたくさんあるんです!
山門を開けていれば、
覗いてみると、
意外なSurpriseがあるかも!


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
大切な世継ぎを安産で授かるお祈り
「数とり竹」

古都・京都には・・・寺名とは別に・・・
通称で呼ばれる寺が、
約80寺もあるんです!
その1つに
「上徳寺」という寺があります。
この上徳寺は、
五条下ル本塩竃町にあります。
南北に走る富小路通沿いに山門が開いています。
周辺には
六条通にかけて小さな寺が
点在しています。

塩竃山上徳寺は、
「京のよつぎさん」という通称で
親しまれいます。
よだれ掛け絵馬が重なるように奉納された地蔵堂には、
世継地蔵が祀られています。
このお地蔵様は・・・
江戸時代の享保年間に、
住僧・玄誉岩超の夜中の勤行中に現れて、
子なきものには、子を授け、子孫相続し、
その家の血縁絶えやらず・・・

告げたという。
以来、
良い世継ぎが授かり、
その子が安産でありますように
と、
参拝者が絶えない!

参拝者の多くは、
「良い世継ぎが授かりますように」と念じ、
御堂に置いてある “数とり竹 ”を
吉数又は、歳の数だけ持って、
その数だけ御堂を右に回る。
1回、回るごとにお堂の正面でお祈りするのが、
規則となっています。
上徳寺では、
毎年「功徳日」がありますが、
2月8日の功徳日は大祭が開催されており、
粕汁の接待が行われ、
境内には「多幸焼」店が並びます!


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
徳川家康の思い入れと
側室・阿茶局ゆかりの寺


上徳寺は、
1603(慶長8)年、徳川家康が建立し、
開基は阿茶局。
阿茶局は、家康に重用され、
大坂冬の陣では、豊臣方との交渉役を担当した人物で、
2代将軍・秀忠の娘・和子が入内するする時、
母代わりを務めた。
墓もこの寺の墓地にあります。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
四国土佐の雄、
長宗我部元親の息子・盛親の墓


本堂の裏手に墓地があり、
その墓地に入って左手奥、長宗我部盛親の墓があります。
盛親は、山内一豊が入封するまで、
土佐の領主だった長宗我部元親の四男である。
平成の現在、
高知では龍馬の人気が高いのは当然ですが、
なんと!
元親の人気が再燃しています。
今風に言えば、

イケメン
だとか・・・で!
歴史好きの “ 戦国女子 ” が
押し寄せているんです。


だが・・・
ここで1つの不思議な謎が・・・
その謎とは・・・
四国から遠く離れた京都に
元親の四男・盛親の墓があるのか?

長宗我部盛親は、
関ヶ原合戦後、
豊臣家に味方し、大坂夏の陣に参戦した。
敗戦の憂き目に遭い、六条河原の刑場で斬首された。

生前、盛親は当山の連光上人と親交があり、
斬首された後、
その首級は上人が預かり、
蓮光寺に埋葬されたという。


☆上徳寺とは・・・☆
上徳寺
とは・・・
京都市下京区本塩竈町にある浄土宗の寺院。
山号は、塩竈山。通称の「世継地蔵」で知られています。
・所在地・
京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町556


☆長宗我部盛親とは・・・☆
長宗我部 盛親
とは・・・
安土桃山時代から江戸時代前期の土佐の大名・武将。
長宗我部氏第22代当主。
兄・信親が戦死したため父・元親の没後に長宗我部家の家督を継ぐ。
関が原の戦いで西軍に属すが、
敗色濃厚と見て戦わず帰国し、徳川家に謝意を表した。
しかし、兄・親忠を殺したことがとがめられ、
領国を没収され浪人となった。
のち旧臣を率いて大阪城に入城、徳川軍と戦った人物。



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