京都通になれる雑学 | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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歴史作家の龍虎俊輔本人によるブログ。

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≪ 京都通になれる雑学

第1章
古都・京都の歴史を知るための町歩き

テーマ 2
古都・京都1200年の出発点
「平安京」とは?

794年、
桓武天皇により遷都されたことにより、
「794(なくよ)ウグイス平安京」と
覚えた人も多かったのではないでしょうか?

実は・・・
平安京は、
自然が砦の都だったんです!

784年、長岡京に遷都されてから
わずか10年後の794年に
長岡京から平安京に都が遷されました。
このことが平安京の始まりとなり、
400年近く平安時代が続き、
京都は1200年余りの歴史を刻んでいます。

当時、京都は《山背国》と呼ばれていた。
なぜ?
こう呼ばれていたかというと
都が平城京にあった時代-奈良時代
大和の後背地に位置する国だったからなんです。
しかし
794(延暦13)年11月に桓武天皇が、
「この国、山河襟帯して、自然に城を作す」と詔を発せられ、
国名を《山背国》から《山城国》と改名された。

平安京には、
東西・約4.7km、南北・5.2kmの
都市空間が広がり、
朱雀大路(現:千本通)を中心に、
南北に33、東西に39本の路(通り)が貫き、
条坊制と呼ばれる
碁盤の目状の町割りとなっています。

朱雀大路の南の入口には
二層の羅城門がそびえ、
道幅84mの大路を北へ上ルと枝垂柳の並木が美しく、
朱の鮮やかな大極殿に辿り着く。
内裏もここにあったという。

この朱雀大路を中心に南面して、
東側を【左京】、西側を【右京】と呼ばれていた。


また
蒼龍・白虎・玄武・朱雀という四神が
強力に守っていた地でもあるんです。

自然に恵まれていた平安京は、
その繁栄を中国の〔四神相応〕という考え方を
拠り所としていたという。

なぜか?

平安京という地は、
東には鴨川(=流水)があり、守護神として「蒼龍」がいます。
西には山陰道(=大道)があり、守護神として「白虎」がいます。
そして
北には丘陵(=船岡山)があり、守護神として「玄武」がいます。
南には窪地(=巨椋池)があり、守護神として「朱雀」がいます。
これら四神が地相と相まって、
平安京を守っているそうです。

注)巨椋池は、埋め立てられたため、現存しません。

東西南北の四神は、
季節にもたとえられているそうで、
東の蒼龍(青龍とも)は、春(=青春)
西の白虎は、秋(=白秋)
南の朱雀は、夏(=朱夏)
北の玄武は、冬(=玄冬)
とされています。

こういった四神に守られ、
四季折々の自然の魅力に溢れ、
この地に住む人々に幸福をもたらす地であったことが、
京都が稀にみる繁栄の地、
そして観光地となった要因の1つなんでしょうね。

平安京が、
「定都」となったのは、
実は・・・
遷都した桓武天皇ではなく、
嵯峨天皇なんです!



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 龍虎 俊輔 
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