悠久の不思議な歴史を巡る旅!≪東福寺編≫ | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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[- 悠久の不思議な歴史を巡る -]
- 第18回 -
≪ 東 福 寺 ≫

通天橋の紅葉の名所として名高く
撮影場所として有名な
東福寺の不思議を巡る旅
本日が、日目!

本日のツアーは、
不思議な鐘を探訪します。

それでは!私と一緒に
悠久の不思議な歴史を巡る旅に
出掛けましょう!

不思議 5
〔 竜頭のない鐘 〕
禅堂の北の殿鐘楼と称する鐘楼に吊られていた
鐘をいう。
(現在は収蔵庫に保管されています)


その由来について
『京都坊目誌』には・・・
鐘は藤原実頼の鋳造せしものにして、
西寺にありしなり。
同寺荒廃の時、九条道家これを購ひ、
本寺に寄附せしと旧記に見ゆ

と記されています。


この鐘の伝説はこうである。
昔、
東福寺の隣に摩訶阿弥陀仏という僧が
建立した天竜寺という寺があった。
ある時、
この僧がこの鐘を無断で持ち帰ろうとすると、
東福寺の韋駄天尊が飛んできて
この鐘を押さえた。
二人は互いに金剛力を出して引っ張り合ったところ、
鐘が2つに分かれて竜頭は摩訶阿弥陀仏の手に、
鐘身は韋駄天尊の手に残った。
竜頭かなくては鐘楼に吊れないので、
その後は針金で吊られたという。


この摩訶阿弥陀仏については
『山城名勝志』には・・・
摩訶阿弥の旧跡は芬陀院の東隣空也なり
と記され、

今も空地で残っています。


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 龍虎 俊輔 
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