悠久の不思議な歴史を巡る旅!【大原郷編】 | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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[- 悠久の不思議な歴史を巡る旅 -]
≪ 大 原 郷 ≫

多くの
不思議な伝説が残る
大原郷歴史探訪の旅
本日が、12日目

久々の更新となります!

本日は、
ある石にまつわる伝説を巡る旅
となります。

それでは!私と一緒に
悠久の不思議な歴史を巡る旅に
出掛けましょう!

不思議 12
〔 法然腰掛石 〕
大原問答の遺跡で「問答寺」と呼ばれる
勝林院の門前の左手にあります。

「法然上人腰掛石」
と記した石柱があり、
丸みを帯びた石で回りを囲ってあります。
惜しむべくは、
説明板が無いので、
この石が
どのような意味を有しているのか
全く判らない。


この石が、
勝林院の前にあるのは、
1186(文治2)年
勝林院で法然上人と天台宗の高僧・顕真が、
浄土宗の専修念仏を巡って
争論したという「大原問答」と関係がある
というよりは、
法然が勝林院本尊を崇敬していたことに
関係があるようです。


『山州名跡志』に
来迎院の西にあり。
伝に云ふ。
上人、
勝林院本尊に参詣のときは、
かならずこの石上にやすらひたまふとなん

と記され、
『拾遺都名所図会』にも

羅漢橋の西に在り。
伝へ云ふ。
上人勝林院の本尊に参詣のとき
休息の所なりと

と記されています。

熊谷腰掛石よりも
大きくて座り心地が良さそうなのが
少し微笑ましい。



本日の歴史探訪ツアーは
ココまでとなります。


明日以降も
歴史探訪の旅を

乞うご期待!!


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 龍虎 俊輔 
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