南禅寺の悠久の不思議な旅! | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

歴史作家の龍虎俊輔本人によるブログ。

国内旅行、寺社仏閣、京都に関してを題材にして、
言いたい放題。+「☆本日はこんな日だ!☆」
「百鬼乙女関連記事」
一読したら、Facebookの「いいね」を押してね。
Twitterをやってる方は、ツイートしてね。

[-南禅寺の悠久の不思議な旅-]

5日目の本日は・・・
≪方丈≫と≪方丈庭園≫の
悠久の不思議な歴史に
迫ります!

別格最上位で禅宗の最高位を
誇った巨刹・南禅寺には、
国宝や重文が多数あり、
本日、
拝観致します方丈庭園は、
名勝に指定されております!

では!早速!私と一緒に
悠久の不思議な歴史を巡る旅に
出掛けましょう!

不思議⑤‐1 〔 方 丈 〕
三門を潜り、
真っ直ぐ歩いていくと
法堂があります。
その法堂の東にある建物のこと。

この方丈は、
大方丈とその奥に続く小方丈から
成立しています。

大方丈は・・・
正面9間、側面12間、単層、
入母屋造、柿葺の寝殿造の建物で
天正年間、豊臣秀吉が、
寄進した御所の清涼殿を
慶長十六(1611)年、
後陽成天皇から賜ったものと
伝わっていますが、
しかし、
近年の調査により、
女院御所の御対面御殿を
下賜されたものという説が
有力視されています。

小方丈は・・・
大方丈の背後にあり、
寛永年間(1624~1644)の創建で、
伏見桃山城の小書院を
移築したものとなります。

いずれの建物も
寝殿造の代表的な建築物
国宝に指定されています。


『京都坊目誌』には・・・
大方丈は南禅寺仏殿の後にあり。
特別保護建造物なり。
始め天正十八年、
豊臣秀吉の造進する所の清涼殿也。
慶長十六年、
後陽成帝、勅して之を賜ひ移築す。
額あり毘盧頂と号す。
僧乾峰の筆。
住時の建物中央を龍淵室と云ふ。
今尚襲名せり。
東の間上壇金張附。
鳴龍の図及び花鳥図は狩野元信の筆。
中間二十四季の図は狩野永徳筆。
西の間花鳥の図も同筆とす。
共に有名也。
小方丈は右に続く。
之を資福堂と号す。
伏見桃山城の旧殿にして、徳川氏の寄進也。
之を虎之間と云ふ。
竹林虎豹の図を描くを以てなり。
狩野探幽の筆なり。

と記されています。

尚、
方丈の北側には・・・
宗偏流の茶室不識庵、中根金作氏の露地があり、
周囲の竹垣は、南禅寺垣と
呼ばれています。



不思議⑤‐2 〔 方丈庭園 〕
大方丈の南面にある
禅院式枯山水庭園のことです。
方丈(清涼殿)、庭園、借景の羊角嶺が、
渾然一体となった、
趣のある庭園となります。
白砂と塀際に置かれた大小6つの石は、
あたかも流れを渡る親子の虎を
連想させることから、

≪虎の子渡し≫
称されています!

『京都坊目誌』には・・・
庭園は虎の子渡しと称す。
龍安寺に似て非也。
畳石の配置按配凡に超越し。
平地白沙を敷く。
頗る快濶なり。
伝て小堀政一の作庭と云ふ。


上記の文章から
この庭園は、
江戸時代初期の禅院式枯山水の
代表的な庭園で、
1629(寛永6)年、
小堀遠州の作庭である
伝説があります!

【小堀遠州とはどんな人物か?】
本名:小堀政一
(1579年~1647年)
近江国(現在の滋賀県)の生まれで、
江戸時代初期の茶人で造園家、作庭家。
近江小室藩初代藩主。
小堀流茶道・華道の祖。
近江小室1万石、遠江守に任ぜられ、
徳川家康、徳川秀忠、徳川家光に歴任し、
茶の湯師範の他、
作事奉行を務め、名古屋城天守、大阪城本丸、
仙洞御所、二条城二の丸等、造営。


本日はココまで!
明日の旅は
≪水路閣≫と≪駒ヶ滝≫の
悠久の不思議な歴
そして
≪ネジリマンポ≫
について
迫ります!


乞うご期待!!


※※※※※※※※※※
 龍虎 俊輔 
※※※※※※※※※※