銀閣寺の通称で有名な
東山慈照寺の不思議な旅に続きです。
それでは!私と一緒に
不思議な世界を巡る旅に
でかけましょう!!
≪ 4日目 ≫
不思議④ 〔 東求堂 〕
東求堂とは・・・
方丈の東側にある
単層・柿葺の入母屋造の建物。
元々は、
足利義政の持仏堂
です!
勿論!
【国宝】
名の由来は、
『六祖宝檀経』にある
「東方の人、
念仏して西方に生れんことを求め、
西方の人、
念仏して何れの国に生れんことを求むや」
から採用されたそうです。
足利義政公の
西方極楽浄土願望の成せるわざである。
内部は・・・
北向書院、西向床、四畳の間と
阿弥陀三尊を安置した持仏堂の四室で
構成されています。
北向書院は・・・
【同仁斎】と呼ばれている
四畳半の小座敷で、
付書院と連棚を備えた
初期の書院造の遺構として
実は・・・
名が高いんです。
ちなみに
【同仁斎】という名なんですが、
足利義政公が、
相国寺の禅僧・横川景三と相談して、
選んだものだそうで、
唐の詩人・韓愈の言葉である
「聖人は一視同仁」
(聖人は人を上下の隔てなく愛する)
に由来しているそうです。
ここで
地誌の案内ぶりを
見てみることにしましょう!
『京城勝覧』には・・・
「東求堂とて、義政立られし茶室有。
是茶湯座敷のはじめなり。」
『雍州府志』には・・・
「今、世上、
茶亭の四畳半、これを濫觴とす。」
『京内まわり』には・・・
「今世の茶の湯の間四畳半敷、
是をはじめとす。」
『都名所図会』には・・・
「茶湯の間は四畳半にして東山殿の物数寄なり。
茶亭四畳半の濫觴とぞ。
高貴の賓客、常に集会ありて茶の道を楽み、
和漢の奇物を玩たまふと後世に
伝りて時代物といふ。」
政治に関心が、あまり無かった
足利義政公が正室である日野富子と
別居していた東山山荘に建立した
東求堂の中に造った
四畳半の部屋が、
現在の和室の原型となったという
不思議なお話の旅でした。
今日の旅はココまで
旅の続きは・・・
乞うご期待!
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★龍虎 俊輔★
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