午前10時。
峰子と神野の部屋のドアが、それぞれノックされ、二人のスーツケースが先に運び出された。
峰子と神野はまた、昨夜のように囲まれて、直接駐車場に誘導された。
チェックアウトは既に済んでいるようだ。
駐車場には、装甲車のような大きな車が4台あった。
峰子と神野は別々の車に乗せられ、空港に着いた。
空港でプライベートジェットに乗せられた二人は、離れた席に案内された。
プライベートジェットの乗り心地は最高だった。
席はゆったりしていて、巨漢の人でも余裕で座れるであろう広さがあった。
峰子は席をリクライニングにして、提供された常温の水を飲んでリラックスした。
同乗者からは何の悪意も感じなかった。
峰子たちが静かにしている限り、彼らの任務は同行するだけで済む。
7時間かかって、飛行機はアラビアン首長国連邦の首都ニクマンにある空港に着いた。
峰子たちはまた、装甲車のような車に別々に乗せられ、少し走るとすぐに目的地に着いた。
そこは広大な敷地にそびえ建つ宮殿だった。
宮殿の中に入ると、神野は男性専用の建物へ、峰子は女性専用の建物へ、それぞれ連れて行かれた。
そこにはそれぞれ日本語が話せる人がいて、通訳として二人に付いた。
峰子はその通訳に、これから峰子は、この国の宗教に帰依する儀式が行われると聞かされた。
この宗教に入っていないと、結婚できないからと説明された。
峰子は言った。
「私は宇宙の真理と自分を信じています。そういう意味で宗教心はありますが、特定の宗教団体には入りません。拒否します。」
それを聞いた通訳は困った顔で言った。
「決まった事です。寺院へ行きましょう。きっと感動されます。」
「建物としては凄いんでしょうが、私はそこに行っても誓いませんよ。」
「とりあえず、行ってみましょう。」
峰子は通訳に促され、奇麗な民族衣装に着替えさせられてから、数人の女性たちと共に寺院へ行った。
女性が入れる所は決まっていて、天井の高さが5メートル程もある大きな広間に着くと、女性たちが敷物を敷いた。
峰子はそこに座るよう言われた。
峰子が10分位、座って待っていると、司祭のお爺さんが現れた。
歌うようにお経の声が聞こえ、儀式が始まった。
司祭が通訳に頷き、カセットデッキを止めると、そのお経の声が止まった。
すると通訳が言った。
「儀式は終わりました。次は結婚式です。」
「えっと、もう終わったの?」
「はい。時間外なので物凄い略式です。」
「へえ~。カセットテープで略式ね(笑)」
峰子は次に、寺院を出て、宮殿の中庭に作られた結婚パーティー会場に連れて行かれた。
そこは男女が一緒に過ごせる数少ない場所だと言う。
花嫁の席に案内され、峰子は座った。
そこに囲み隊に囲まれた神野が連れて来られた。
彼は峰子のお父さん役をやらされるそうだ。
峰子はそれを聞いて笑った。
神野は峰子より少し年上なだけだったからだ。
そうこうしていると、ハッサンが現れ、峰子の横に座った。
ハッサンは通訳に何かを言った。
通訳がそれを峰子に伝えた。
以下は通訳を介しての会話である。
「君はここの生活を気に入る。すぐ慣れる。すべてはタッラーの思し召しだ。」
「私は日本人です。貴方に私を拘束する権利はありません。私を誘拐して自由を奪った事、後悔しますよ。」
「毎日愉しく贅沢三昧だぞ。」
「そんなの望んでいません。」
「私が望んでいる。」
峰子が何を言っても、ハッサンは余裕の顏でクシャッと笑った。
しかし、ハッサンのシワだらけの笑顔が恐怖で凍り付く時が来た。
パーティー会場に伯爵が現れたのだ。
伯爵がテレパシーでハッサンに言った。
「お前は何の権利があって、我の友を誘拐したのだ?」
「ひえええええええええええ!悪魔だあああああああああ!」
体長3メートルのコモドドラゴンのような恐竜が目の前に現れて、頭の中に直接話しかけてきたのだ。
そこにいた者は、兵隊も、他の沢山の妻たちも、召し使いたちも、客人も、皆が恐怖に震えた。
伯爵が全員を睨み、わざと大きく口を開けて怒鳴った。
「お前たちも我に逆らう者か?助かりたければ去れ!」
それを聞いて、そこにいた皆がハッサンを残して、大慌てで逃げ去った。
ハッサンは腰を抜かして動けなくなっていた。
伯爵は、気持ち良く悦に入って続けた。
「ハッサンよ。結社からの連絡を無視したそうだな。やり過ぎたな。この恩知らずめ!」
「わわわわわわわわ~お許しを~!」
「ひと~つ、この世、女の自由を奪い、ふた~つ、不埒な我儘三昧、みっつ~、醜い自分本位の鬼を、退治てくれよう~龍太郎!」
峰子と神野はここまで聞いて、大笑いしてしまった。
日本で流行った時代劇を思い出したのだ。
しかし、ハッサンには大きな恐怖となったようで、彼は気を失ってしまった。
峰子は伯爵に言った。
「ありがとうございました。でも龍君、さっきの口上(笑)」
「一回やってみたかったんだよね。どう?決まってたっしょ?」
「うんうん。お礼にカレーコロッケもオマケするわ。」
「やった!」
その会話を聞いて笑っていた神野が言った。
「結社の人間が来ました。」
見ると、白い宇宙服のような高機能スーツの男性が15人来ていて、3人がハッサンを拘束して連れて行った。
残りの6人は、幽閉されていたムハンマドを解放し、議会を開かせ、世界政府が決定したハッサンへの制裁とアラビアン首長国連邦の今後を伝えた。
後の6人が峰子と神野を車に案内し、空港からプライベートジェットに乗り、一緒に日本へと帰って来た。
伯爵は、自分の乗って来たユーフォーにテレポーテーションして乗り、帰って行った。
数日後、アラビアン首長国連邦のハッサン王が体調不良を理由に引退し、王位が息子のムハンマドに継承されたというニュースが、世界中に流れた。
峰子はハッサンがどうなったのか?誰にも聞かなかった。
坂本医師以上に、独裁者のハッサンは、沢山の男女の自由を奪い、逆らう者を次々に粛清していたのだ。
そのやり方は、残酷で無慈悲なものであったという事も判った。
峰子はハッサンを助けた事に対して、少し複雑な気持ちになった。
とは言え、結社からの依頼を受け、源の采配でこれからも動く自分を、疑問に思ってはいなかった。
峰子の特技は、病やケガで困っている人に対して、分け隔てなく発動されるので、源の采配がGOなら、どんな悪人であっても癒す結果になるのだ。
しかし、起きる事、起きた事の総ては最善なのだ。
人間の峰子には、分からない。
善悪や正邪は関係ないのだ。
ただ、需要と供給があり、起きる事が起きているのだ。
峰子は立ち上がると、久しぶりの家事を済ませてから、沢山のコロッケを買いに、田嶋屋へと向かった。