storage of my life story 30 | 龍慈ryuukeiのブログ

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愛一元の世界ここに在り。
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調理実習は非常に興味深い情報が幾つもあり、峰子にとって、すごく良い時間になった。

 

しかも、とっても美味しかった。

 

 

2限目のカリキュラムと清掃を終えた峰子は、帰り支度をして、一階にある教務室へ向かった。

 

 

 

 

 

この学校には3つのコースがあり、教務室も3つあった。

 

 

第一課は、正看護婦を目指す4年制のコース。

 

第二課は、准看護婦を目指す3年制のコース。

 

第三課は、准看護婦免許所持者が正看護婦を目指す2年制のコース。

 

 

それぞれの課の各学年にA組とB組の2クラスがあり、1つのクラスには50人の生徒がいた。

 

峰子がこの学校を選んだのは、定時制だったからだ。

 

 

1限目が午後1時~2時30分。

 

休憩時間を挟んで、2限目が午後3時~4時30分

 

授業が終われば、皆で分担して、学校中を清掃して、午後5時頃に下校となる。

 

 

峰子にとってこの学校の制度は、時間的にも金銭的にも都合が良かった。

 

しかし授業時間が少ない分、各単位が積め込み式になるので、一週間に一度、金曜日に、教科書一冊分の試験が行われる等という事が頻繁に有った。

 


クラスメイトの殆どは、大阪以外の地方出身者で、勉強しながら病院で働き、そこに併設された寮に住んでいる勤労学生だ。

 

だから皆の顔は、金曜日になると少しやつれていた。

 

学期末や学年末には疲れがピークになり、体調を崩す者もいた。

 

 

学年が進むにつれ、クラスの人数は少しづつ減っていくのだった。

 

 

 

 

彼女たちは、各コースを頑張って卒業して、看護婦の国家資格や地方自治体の資格等を得たら、今度は病院へのお礼奉公が待っている。

 

それが嫌なら、病院側に出して貰った学費や家賃等の諸経費を、一括で返す決まりなのだった。

 

 

 

 

ここの校舎は大阪市内に建つ、5階建てのビルだった。

 

約900人という結構な大所帯なので、どこに行っても生徒が居て、ワチャワチャしていた。

 

屋上はネットで囲われた運動場になっており、体育の授業で体力の維持向上を求められた。

 

5階には全員が集合できる広い講堂と、視聴覚室・看護実習室があった。


4階には2課の生徒がいて、3階には3課の生徒と1課の4回生がいる。

 

2階には1課の1回生から3回生がいて、1階には教務室と事務室、そして音楽室と調理実習室があった。

 

 

峰子は音楽室の清掃が回ってくるのを、楽しみにしていた。

 

同じ班の人がマイケルのファンなので、こっそりレコードをかけて清掃を行うのだ。

 

音楽室にあるスピーカーは、音質が素晴らしかった。

 

 

「レコードプレーヤーも、時々は動かして点検しないとね♪」

 

「そうそう!」

 

 

こういう楽しみを見つけながら、皆、頑張っていたのだ。

 

 

 

 

 

階段を降りた峰子は、少し緊張しつつ第1課教務室という札の掛かったドアをノックした。

 

 

「どうぞ。」

 

 

と、入室を許可する担任の佐藤の声が聴こえた。

 

 

峰子が教務室に入ると、学長と看護に関する教務を担当する先生たちと共に、初老の男性二人がいた。