“モノ選び”は、人の「姿」「在り方」、そのものが現れているのではないか?と思うのです。

自分の持つモノ、選ぶモノに、その人なりの自信と誇りを持っていて、尚且つ、それを、とことん大切にできる人を尊敬します。

 

私は自分が安心して心地好くいるために、身の周りのモノには、やや、こだわりを持って生活しています。


大前提として「これだ!」と思ったモノのみ、自分の傍におくようにしています。

 

 

47年間も生きていれば、自然と知識も身について、目も肥えるというものです。

品質の良し悪しや製品の価値、自分に合うモノか否かが判断できるようになりました。

身近にあるモノは、そんな私目線のこだわりをくぐり抜けた製品ばかり。

モノ選びが好きな私ですが、ただ単に物欲に身を任せあれも欲しい、これも欲しいとさまよっているわけではありません。

むしろ量は必要なく「なんでも」は必要ありません。必要のないモノはいらないのです。

本当に自分が納得のいく製品のみをそろえるために、私が選ぶ基準としてしていることは

《そのモノ(アイテム)の中でいまの自分の最上級を選ぶ》こと。

同じアイテムのモノは「一つ」に決める、という非常にシンプルな決まりですが、これはモノ選びの目を養うために有効だと感じています。

このルールがあることによって、迷いもブレもなくなり、モノの整理と把握にもつながるのです。

何か新しく欲しいモノに出合った時「これはいま自分が持っているモノよりも良いモノなのか?」という比較の視点に意味があります。

常にナンバー1は〈一つ〉でいいのです。

モノというのは決して価格だけで語れるものではありません。


「良さ」も「理由」もそれぞれですが。


私が持っているモノには必ず「美しさ」とか「たたずまい」「存在感」があり、そのモノ一つ一つに「ストーリー」が加わり、モノにこころが宿っているような気がしています。

人の周りにあるモノは、例外なく、その時、その人が選んだ「選択」の結果。


こだわりのないモノが周りに存在するとしたら、それはその人が「なんとなく」で選択をしているという証拠です。

だからこそ、自分が本当に必要なモノと出合う力= モノを見極める目こそが、心地よく日々を送るための重要なスキルと言えます。

モノ選びの更新を何度か繰り返していくうちに、必然的に持ちモノは洗練され、ナンバー1になったモノは、グレードアップされ、良いモノだけが残っていきます。

多くのモノの中から1つ1つ基準を持って選び出すことで、心地よい豊かな暮らしにより近づける。

私が長年、愛用し続けているモノがありますが、そういうモノは。私基準の特別な存在感があります。

自分の中に一本通った「芯」を作り、その世界観を崩さない「調和する」モノを揃えていけば必然的に目指す理想の空間ができあがります。
 

こうして勝手に身の回りのモノがグレードアップして、人生が豊かになっていくのを感じて楽しんでいます。